【中薬を故事で学ぶ】 魚腥草の故事 〜侗族を救った青年:魚腥草の力〜

中薬の故事

宋の熙寧六年(1073年)の夏のことでした。

空は何日もどす黒い雲に覆われ、大雨が絶え間なく降り続きました。

山から水があふれ出し、川は瞬く間に濁流となって膨れあがり、泥と砂を巻き込みながら、家々を呑みこみ、田畑を押し流していきました。

とくに河沿いに暮らしていた侗族(とんぞく)の人々は、家を失い、家畜も流され、生きる望みをなくしていました。

やがて雨が止み、水が引いたあとに、さらなる悲劇が訪れました。

村の人々も家畜も、皆そろって激しい下痢に苦しむようになったのです。

その病は、何を食べても、何を飲んでも止まらず、命を落とす者も次第に増えていきました。

当時の医療では、この病が何かも分からず、薬も効果を示さず、人々はただ不安と恐怖に沈むばかりでした。

そんなある日、白馬灘侗寨(現在の湖南省芷江新店坪鎮白馬舗村)に住む、張という姓の若者が、一本の草を手に村に現れました。

「これは魚腥草(ぎょせいそう)という草です。この病気に効くかもしれません。どうか試してみてください。」

突然の申し出に、村人たちは驚き、疑いの眼差しを向けました。

けれど、病に倒れたまま手立てもなく命を落とすより、賭けてみよう――そう思った人々は、張青年に言われた通りに、その草の根を煎じ、食べてみることにしたのです。

すると、まもなくして病状がみるみる改善し、数日も経たぬうちに、ほとんどの患者が回復したのでした。

この出来事は近隣の村々にも伝わり、魚腥草はたちまち「命を救う草」として広まりました。

では、なぜ張青年がこの草の力に気づいたのでしょうか――

実は、彼の家では魚腥草を日ごろから家畜、特に豚に与えていたのです。

あの大雨の後、近所の家では豚が次々と病に倒れていく中、張の家の豚だけが元気にしていました。

「何が違うのか?」と家族で考えたとき、魚腥草の存在に気づいたのです。

張青年は少し草薬の知識がありました。

「もしかすると、魚腥草には清熱(熱をさます)・解毒(毒を出す)・利尿(体の余分な水分を出す)といった働きがあるのではないか?」

試しに家族みんなで魚腥草を食べてみたところ、体調はたちまち良くなり、病の兆しも引いていきました。

この経験が、命を救う行動へとつながったのでした。

それからというもの、侗族の人々は魚腥草を大切に扱うようになりました。

食べ方も工夫され、地下茎を丁寧に洗い、短く刻んで、焼き唐辛子の粉、生姜、香菜(パクチー)、ネギ、ニンニク、酢などを合わせて和え物に――今でも、侗族の食卓には欠かせない伝統の味として残っています。

おしまい


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