「浮脈は皮膚のすぐ下を流れ、あたかも楡の木に沿って滑るよう、絹毛のごとく軽やかである。秋にこの脈が現れるなら、それは正気がめぐる証であり平安であるが、長患いの者にこの脈が出れば、かえって危険の兆しと知れ」
――《濒湖脉学》に記される二十八種の脈象は、口からすらすらと転がるほど、もう完璧に暗記している。
だが、指月はその「意味」をまだつかめていなかった。
指先で脈を取っても、その形や勢いが、まだ“はっきりとは感じ取れない”のだ。
ある日、一人の婦人が茅葺の家にやってきた。
手には病院の検査報告書を持っている。
「先生、私また“貧血”って言われて、それに“頭痛”もひどいんです。お医者さんには“脳の血流不足”で“血管性の緊張性頭痛”って……」
指月は黙って婦人の脈を取り始めた。
祖父は横で、報告書に目を通している。
指月は、少し前にこんな疑問を祖父にぶつけていた。
「祖父。祖父は中医なんですから、“脈を診れば十分”じゃないですか?どうして“病院の検査”なんかを見るんです?」
祖父は静かに笑って答えた――
「検査報告もまた、“病機”を反映した一つの形式だよ。参考になる。執着してはいけないけどね。治療の前後で状態の変化を見る“比較の材料”としても使えるし、ときには弁証の一助にもなる。たとえば、「貧血」と言われれば、脾胃の気血生化の機能が落ちていると考えられるし、「緊張性頭痛」と言われれば、脈が“沈・緊・細”に傾いていれば、これは“寒凝肝鬱”だと見抜くこともできる。「中医と西医は、それぞれ独立した体系ではあるが、
一部では相通じる部分もあるんだ。大切なのは――『中学為体、西学為用』。つまり、“中医学を軸”にし、“西洋医学を手段”として使う。そうすれば、検査報告に助けてもらいながらも、それに振り回されることはない」
指月は脈を取り終えたが、どうにも腑に落ちなかった。
「この脈は細くて緊張してて、ぐっと押し込んでも力がないように感じるのです……こんなにたくさんの情報が詰まっていて、いったいどうやって処方を決めたらいいのでしょうか?」
祖父は脈を確認すると、迷いのない口調で婦人に尋ねた。
「普段から手足が冷えて、腰が痛むでしょう?」
婦人は驚いたように目を丸くし、すぐにうなずいた。
「そうなんです。冬になると手足は布団の中でも温まらなくて……。しもやけもできやすいんです」
祖父はうなずいたあと、静かに言った。
「手足厥寒、脈細欲絶(脈力が尽きかけていて、存在が分かりにくい)なら、『当帰四逆湯』が良い。もしこの冷えが長年に及ぶようなら、『当帰四逆加呉茱萸生姜湯』を用いるべきだ」
婦人だけでなく、指月も思わず驚いて声を飲んだ。
「祖父。どうしてそんなに的確に診察を進められるのですか? 一つ二つ質問しただけで、症状の核心を突き止めて、処方まで決まってる……」
指月は自分のやり方を思い返して、苦笑した。
「私なんて『十問歌』に従って、律儀に全部聞いていっても、要点を掴めなくて……情報が多すぎて余計に混乱してしまいます。結局、主症状が何か分からなくなるんです。祖父みたいに、たった二言で処方が決まる技を、私も身につけたい……」
祖父は指月を見つめながら穏やかに笑った。
「その“たった二言”はね、何十年も積み重ねてきた努力の賜物なんだよ。人生をかけて集めた経験の結晶なんだ。幾多の症例を経験し、幅広く学び、病を見抜き、脈に親しみ、薬を幾度も使ってこそ――。そうして初めて、たった一つの脈象から、その人の身体のすべてが読めるようになる。そのとき、ようやく脈や薬の精微な部分が見えてくるんだ」
指月はこの話を聞いて、医道に近道などないことを初めて実感した。
それは、たとえ祖父が口伝で教えてくれるとしても、言葉だけでは本質を伝えきれないものだった。
医道とは、言葉では表現しきれず、思考の及ばぬ深淵にあるもの。
指月は、祖父がかつて言っていた言葉を思い出した。
「医道とは至精至微のもの。真の医の精髄は文字に関わらず、天地が文字を持たぬ遥か以前から、すでに存在していたんだ。後世の書物や言葉は、川を渡る舟であり、山に登る梯子であり、月を指す指に過ぎないんだよ。借りることはできても、執着してはいけない」
そのとき、横で話を聞いていた婦人がふと尋ねた。
「先生はなぜ、これほど病の見立てが的確で、お薬もぴたりと合うのでしょうか? その知恵はどこから来るのですか?」
祖父は、飾らぬ口調で答えた。
「それは、精確な判断力から来ている」
婦人はさらに尋ねた。
「では、その精確な判断力はどこから生まれるのですか?」
「それは、長年の経験の積み重ねより生まれている」
「では、その経験はどうやって積み重ねたのですか?」
祖父は微笑みながら、まっすぐ婦人の目を見て答えた。
「それは、無数の誤った判断から得た学びを積み重ねた経験だ」
――その言葉は、何気ないようでいて、じつに深く重い意味を秘めていた。
指月の胸には、大きな波が打ち寄せるようだった。
言葉の奥にある精神の力が、指月の内なる知恵の扉を静かに開け放っていった。
将来、自分がどうやってこの医の道を歩いていくのか、その光景がふと心に浮かんだ。
その後、処方された薬を数服のんだだけで、婦人の頭痛と手の冷えは大きく改善された。
再診に訪れたときには、脈もずいぶんと力を取り戻していた。
あの細く緊張し力のない脈が、穏やかで力のあるものへと変わっていた。
「効き目が出たのなら、処方を変えずにもう少し続けてみよう。これでこの冬は、足も冷えにくくなり、手もしもやけになりにくくなるはずだよ」
指月は話を聞いて、ふと腑に落ちた。
「なるほど。だから祖父は「当帰四逆加呉茱萸生姜湯」を用いたんですね。そこに含まれる桂枝・細辛・生姜は、強い陽気を引き出して脈の力を補う。当帰・白芍・大棗・甘草は陰血を補って脈を満たす。細く力のない脈を太くしっかりとしたものへと変えていく。つまり、陰陽が調和すれば、脈の陰陽が調整され、数服の薬で脈勢が立ちどころに変わり、病もまたたく間に癒えていくんですね」
祖父は、指月の理解がここまで及んでいるとは思っていなかった。
だがこれは、指月が長い時間をかけて考え、反復して思索を重ねてきた積み重ねの賜物だった。
こうした基礎があってこそ、祖父の一言一語が深く心に響き、腑に落ちるのだ。
もしもこの積み重ねがなければ、どれほど多くの言葉を投げかけられても、気づくことはできなかったに違いない。
その晩、指月はノートにこう記した──
細辛、頭痛を治すること神のごとし。
細辛は、その気清らかにして濁らず、濁気を下し清気を上げることに長けている。
陽剛の気を帯び、清陽を上へと押し上げ、諸竅を通じさせる。
ゆえに、寒邪による痺れ、陽虚による頭痛・腰痛・手足の痛みは、細辛でなければ治すことはできない。
脈が細く、力もないようなときには、この細辛が脈力を鼓舞する助けとなる。
だが、細辛は辛であり、その性は散であるため、血を補い陰を養う薬と共に用いなければならぬ。
そうして脈道を広げ、気が血によって養われれば、散らずに内に守られる。
これこそが、仲景が「脈細欲絶」に当帰四逆湯を創した真意にほかならない。
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