【中医基礎理論 第14講】 - 中医学の思考法その3 変易思惟 – 

中医基礎理論

中医学には、中医学ならではの独自の思考法が存在します。

  1. 象思惟
  2. 系統思惟
  3. 変易思惟

前回の記事では、「系統思惟」について学びました。

今回は、その三つ目の思考法である「変易思惟」をご紹介します。

変易思惟とは?

「変易」とは、「変わりやすい」「常に変化している」という意味です。

たとえば、風が吹き続けることで大地が削られていくように、自然界は常に“気”が動き、万物が変化し続けています。

変易思惟とは、このような事物の動的な変化の規則に注目し、生命や健康のプロセスを深く理解しようとする中医学独自の思考法です。

この思考法の大きな目的は、疾病の予防と治療(防治)を的確に行うことにあります。

宇宙の本質は「変化」

変易思惟の基盤には、中国古代の哲学書『周易』の思想が根付いています。

『易伝・繋辞下(けいじげ)』には、次のように記されています。

「易は常に変わり、道は移り変わり動き続けるもので、上下に定まりがなく、剛と柔は互いに交替する。ただ変化に適応するのみ」

この言葉が示しているように、宇宙の本質は“変化”です。すべての物事は絶え間なく動いており、その中で変化にどう適応するかが大切なのです。

中医学では、自然現象や生命活動、健康や病気などもすべて「物質の運動」として捉えています。つまり、万物は常に「生じては滅し、運動 → 変化 → 発展」という永続的なプロセスの中にあるという考え方です。

そして、この動的な変化のなかでいかに調和を保つか――それが、中医学における「変易思惟」の核心となります。

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動きながらバランスをとる=動的平衡

変易思惟の2つの柱

変易思惟は主に2つの内容から構成されています。

  1. 恒動変化
  2. 動静相召

まずはその一つ目、「恒動変化」について詳しく見ていきましょう。

恒動変化とは?

風が吹き続けることで大地が変形していくように、自然界は“気”が動くことによって常に変化し続けています。

「生命は運動にある」とされ、朱丹溪の『格致余論・相火論』には、

「天は万物を生じるがゆえに常に動いており、人もまた生きる限り常に動いている」

と述べられています。

「恒動」とは、運動は永遠かつ絶対的なものであるという意味です。人間の「生・長・壮・老・已(死)」というプロセスもまた、運動のダイナミックな流れの中にあります。

この生命の流れの中では、肺の呼吸、心の拍動、脾の運化、肝の疏泄、腎の蔵精、六腑の伝導と消化、気血の巡行、津液の代謝、経絡の運行など、すべてが絶え間なく動いているのです。

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動物は「動く物」。動いてこそ「健康」

『素問・六微片大論』には、こう記されています。

「物の生は化に従い、物の極は変に由る。変化は成敗のもとである」

つまり、物事が小から大へと進む量的な変化が「変」、そして、極点に達して質的な転化が起こるのが「化」です。新たなものが生まれるのは質的変化(化)によってであり、その前段階には量的変化(変)が存在します。

この二つを合わせたものが「変化」であり、万物は常に変化し続けているというのが中医学の基本的な捉え方です。

四季と陰陽の変化

自然界における最も顕著な変化の例が「四季」です。四季は陰気と陽気の変化によって生まれます。

  • 夏至に向かって陽気が増えていきます(=変)
  • 夏至で陽気が極まり、陰気が生じます(=化)
  • 冬至に向かって陰気が増えていきます(=変)
  • 冬至で陰気が極まり、陽気が生じます(=化)

この循環こそが、自然界の「恒動変化」です。

また、「昼と夜」も陰陽のリズムを体現していて、一日の中で陽気が高まっていく時間帯と、陰気が強まる時間帯があることは、陰陽学説を通して解説できます。

1日の中で、陽気と陰気がどう変化しているのか、ぜひ考えてみてください。
*陰陽学説で解説します。

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自然界は「変化」の繰り返し

「生成」、「発展」から極点に達して質的変化が生じ、旧いものが消え、新しいものが生まれるのは、すべて運動変化によるものです。

中医学における「機」の概念

中医学では「機(き)」という言葉が非常によく登場します。これは物事の変化を引き起こす根本的な契機やきっかけを意味します。

『荘子・至楽』では、

「万物はすべて機に出て、機に帰す」

と述べられています。

中医学における「機」には、次のようなものがあります。

  • 気機(きき): 気の運動(昇降・出入)による変化の原動力。万物はこの気の運動によって変化します。
  • 神機(しんき): 精神や情緒の変化を生む契機。喜怒哀楽が調和していることが、精神の正常な状態です。

気機と神機は、いずれも生命活動の根本的な形式を示しています。

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機は機序という意味もあり、中医臨床において極めて重要な概念です

病気の変化と「病機」

病気もまた、常に変化する存在です。その発症や進行のメカニズムを中医学では「病機」といいます。

『本草経集注・序録』には、

「病を治すには、まずその源を調べ、病機を見極めるべし」

と記されており、病気の変化を的確に捉えることは、治療だけでなく予防においても極めて重要です。

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邪気って怪盗二十面相みたい

たとえば、風寒による「表寒証」が適切に治療されなければ、内部へと侵入し「里熱証」に変化することがあります。また、実証が虚証に転じたり、陰虚が長引くことで陽虚に発展することもあります。

このように、病気は陰陽の不調和や正気と邪気の盛衰によって絶えず変化するため、中医学では病機を動的に分析し、その都度、治療方針を柔軟に調整していく必要があります。

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変化を捉える!

「治未病」の思想と変化への対応

中医学が重視する「治未病」とは、

  • 病にかかる前に予防する
  • 既に発症した病が悪化しないようにする
  • 回復後の再発を防ぐ

という三段階の考え方です。

これを実現するには、陰陽のバランスを調整し、生理活動の“動的平衡”を維持することが欠かせません。そのためには、病の変化を常に把握し、治療法・薬物・養生法を柔軟に調整する必要があります。

陰陽運動こそが、変化の原動力

天地万物の変化の根本は、外部からの影響だけでなく、物事自身が持つ内在的な陰陽の運動力にあります。

『易伝・繋辞上』には、

「剛柔相推して変化を生ず」

とあり、これは性質の異なる「陰と陽」が互いに作用し合うことで、万物の変化と発展が起こることを意味しています。

陰陽は変化の法則そのもの

『素問・陰陽応象大論』には、次のように述べられています。

「陰陽とは、天地の道であり、万物の規律であり、変化の父母、生殺の根源、神明の宿るところである。病を治すには、必ずその本(陰陽)を求めなければならない。」

つまり、陰陽の運動こそが物質世界の発生・発展・変化の法則であり、診断・治療の根本原理となるのです。

そのため、中医学では「まず陰陽を弁別する」ことを診察の基本とし、「陰陽の偏りを調え、バランス=平に導く」ことを目標とする治療方針が確立されています。

養生にも通じる陰陽の道

「法于陰陽(陰陽の法に則る)」は、健康を維持するための基本的な養生の道でもあります。季節の変化に順応し、自然のリズムに沿った生活を送ることこそが、健康を保つ最も確かな方法なのです。

「陰陽を明らかにすることは、迷いが解けるようなものであり、酔いが覚めるようなものである」

―― それほどに、陰陽の理解は重要なのです。

ここまでの内容をまとめると、変易思惟の核心は以下の三点に集約されます。

  1. 陰陽は常に運動し、変化している
  2. 万物はすべて陰陽の運動を内在している
  3. よって、万物は常に変化し続けている

非常にシンプルな原理ですが、そこに深い知恵が宿っています。

万物が常に変化するなら、人生がうまくいかないときも、やがて状況が変わるということです。焦らず、変化の流れを見守る――そう考えると、変易思惟は私たちに希望を与えてくれる思考法だと思えてきます。(※個人の感想です)

動静相召とは?

「召」は「呼び寄せる」という意味があり、直訳すれば「動と静は互いを呼び寄せている」となります。

しかし、この言葉が示しているのは単なる呼応関係ではなく、「動と静の相互作用によって、平衡=調和がもたらされる」という中医学の核心的な思想なのです。

相対的静止という視点

中医学の思考法である変易思惟では、すべての物事は常に動き、変化し続けているという“恒動変化”の原理を強調します。

しかし同時に、「一定の条件下での限定的かつ一時的な相対的静止」も重視しています。

ここで言う「静止」とは、「完全に止まる」ことではなく、「安定している」という意味です。

つまり、相対的静止とは、動きの中で保たれるバランス、すなわち「動的平衡」「動的安定」を意味します。

この「相対的静止」は、物事が存在し、成長・発展していくために必要不可欠な条件であり、運動そのもののもう一つの現れ方でもあるのです。

『素問・天元記大論』

『素問・天元記大論』には、次のような一節があります。

「動静相召、上下相臨、陰陽相錯、而変由生也」
(動と静、上と下、陰と陽が互いに関わり合い、交錯することで、変化が生じる)

ここでは、動と静が互いを引き寄せ、上下や陰陽といったさまざまな要素が相互に作用することで、「変化」が生まれるという宇宙の根本原理が説かれています。

『太極図説』の周敦頤

宋代の哲学者・周敦頤(しゅうとんい)は、『太極図説』において次のように述べています。

「太極動而生用,動極而静,静而生陰,静極復動,一動一静,互為其根。」
(太極は動いて陽を生じ、動きが極まると静まり、静けさの中から陰が生まれ、静が極まれば再び動が生じる。一動一静、互いにその根となる)

この思想からは、動と静が一方的なものではなく、互いに循環し、相互に転化し合うことが読み取れます。まさに、「動静相召」の本質を端的に表した哲学的な表現といえるでしょう。

動的安定は発展の基盤

このように、動と静の間に生まれる相対的な静止=動的平衡こそが、次の変化や成長のための土台となります。

一見、安定して見える状態も、実際には内部で絶え間ない運動が起こっており、それが新たな要素を育て、物事をより高度な段階へと導いているのです。

中和 ― 動静の結晶

こうした動静の平衡によって生じる理想的な状態が、「中和」です。

『礼記・中庸』には次のようにあります。

「中也者,天下之大本;和也者,天下之達道也」
(中とは、中立で偏りのない状態であり、これは天下の根本である。和とは調和であり、これは天下の通ずる道である)

この「中和」は、物事が自然に調和を保ちつつ安定している状態を意味します。それは宇宙の根本であり、人間の心身、社会、自然、すべてに共通する普遍の理なのです。

中医学における「尚中」の精神

中国の伝統思想においては、「貴和尚中(調和を貴び、中庸を尊ぶ)」という精神が根底にあります。

この考え方が中医学の「中」の由来でもあります。すなわち、「中医学」の「中」は、「中国」ではなく、「尚中=中庸を尊ぶ」という哲理を示しているのです。

『荀子・王制』

『荀子・王制』には、次のように記されています。

「公平者職之衡也,中和者听之縄也」
(公平とは職務における秤であり、中和とは政を聴く際の縄(基準)である)

ここで使われている「衡」や「縄」は、「重要な基準」「統治の要点」を意味しています。つまり、中和は公平とともに政治・社会・秩序の根幹を成すものであり、これが中医学の理論体系にも深く影響を与えているのです。

動静相召と健康の定義

健康とは何でしょうか。それは、人体における臓腑や経絡の生理機能、気血津液の生成と輸布が、動静相召の関係によって「平」と「和」の状態を維持していることを指します。

中医学とは、まさにこの「中和」や「平衡」を基準として、

  • 自然界の五運六気
  • 人体の生理活動
  • 養生法
  • 予防・診断・治療

など、あらゆる側面から研究し実践する医学なのです。

動と静が互いを呼び合い、平衡をもたらす「動静相召」という思想は、中医学の診断・治療・養生・予防すべての根本に位置づけられています。

それを裏づけるように、『黄帝内経』では200箇所以上にわたって「平」と「和」についての言及がなされています。

ここでは、それらの中から代表的な記述を取り上げてご紹介していきます。

「平気」:自然界の調和を指す概念

まず、自然界における正常な気候の状態を「平気(へいき)」といいます。これは、五運六気(自然界の運行する気の法則)が動的平衡を保っている状態を表します。

『素問・五常政大論』には次のように記されています。

「生而勿殺,長而勿罰,化而勿制,収而勿害,蔵而勿却,是謂平気」
(万物が生じるときにはこれを殺さず、成長する段階ではこれを罰せず、変化する過程では制止せず、収束のときには損なわず、蓄えるときには拒まず、これを“平気”と呼ぶ)

このように「平気」とは、自然の営みに干渉せず、調和のうちに成り立つ理想的な自然環境を指しています。

「平人」:調和のとれた健康体

健康で病気のない人のことを、中医学では「平人」といいます。

『素問・生気通天論』には、平人の特徴として次のように記されています。

「内外調和,邪不能害,耳目聡明,気立如故」
(内外が調和していれば、邪気は害をなすことができず、耳と目は聡明で、気は昔のままに正常に循環している)

また、「筋脈が調和しており、骨髄は堅固で、気血はそれに順応している」とも述べられています。

ここで「気立」は気の交流・転化を意味し、「如故(じょこ)」は「昔のまま=本来の状態」という意味です。

つまり、生命の本質が保たれた状態が「平人」なのです

『霊枢・平人絶谷』の記述

『霊枢・平人絶谷』では、さらにこう記されています。

「五臓安定,血脈和利,精神乃居」
(五臓が安定し、血脈が調和して滑らかに流れ、精神はそこに安んじて宿る)

ここでも、「平」と「和」が心身の健康状態の指標であることが明確に示されています。

「腎気平均」:成長の安定

人の生命活動には、「生・長・壮・老・已(死)」という自然の法則があり、なかでも腎に蓄えられた精気の盛衰がそのプロセスにおいて決定的な役割を果たします。

たとえば、女性では「三七(さんしち)=21歳」になったときに腎気が盛んになり、生殖機能が発達し始めます。このとき、余分な腎気が身体全体に分配され、それが身体の成長と発育を促します。これを「腎気平均」といいます。

つまり、「平均」とは、生理的エネルギーがバランスよく機能している状態を指しているのです。

「平脈」:診断におけるバランスの象徴

正常な脈象を「平脈」といいます。

『素問・経脈別論』にはこうあります。

「権衡以平,気口成寸,以决死生」
(気血のつり合いが「平」であることをもって脈象とし、それは気口(寸口)の脈に表れる。気口の脈を診ることで生死を判断できる)

「権衡(けんこう)」とは、つり合い=バランスを意味し、脈の観察を通じて、体内の陰陽や気血の状態が平か不平かを見極めるのです。

「平」「和」の失調はすなわち病

臓腑や経絡の生理機能、また気血津液の生成と分布における「動」と「静」のバランスが崩れると、「平」や「和」が損なわれ、それはすなわち「病」の状態とされます。

たとえば、陰陽の消長がバランスを失うと「陰陽失和」という異常な状態になります。

『素問・生気通天論』の記述

「凡陰陽之要,陽密乃固,両者不和,若春無秋,若冬無夏」
(陰陽の根本は、陽が内に充実し、密で固くあることである。もし陰陽が調和しなければ、春が秋を失い、冬が夏を持たないような異常が生じる)

これは、陰陽が調和して初めて、季節も身体もその正常な循環が保たれるということを意味します。

『素問・調経論』の記述

「血気不和,百病乃変化而生」
(血と気が調和を失えば、百の病が変化して生じる)

気と血の不和が、多種多様な病の根源になることを明示しています。

『霊枢・脈度』の記述

「五蔵不和則七竅不通,六府不和則留為癰」
(五臓が調和しなければ、七竅(感覚器官)が通じず、六腑が調和しなければ、腫れ物が生じる)

これは、身体の構造的・機能的な連携が「和」によって保たれているという中医学の重要な視点を示しています。

『霊枢・終始』の記述

「謹奉天道,請言終始。終始者,経脈為紀,持其脈口人迎,以知引用有余不足,平与不平,天道畢矣」
(天地の道理を慎んで守り、今ここに“終始”の理を述べよう。いわゆる“終始”とは、経脈を綱紀として、寸口と人迎の脈を診ることで、陰陽の有余・不足、「平」か「不平」かを知ることができる。これによって天地の法則は完全に理解される)

このように、「平」「和」の観察は、診察や治療の根拠として極めて重要であることがわかります。

臨床家としての責務

中医学の予防と治療の原則は、次の二点に要約されます。

  • 「陰陽の所在を慎重に観察し、それを調整して“平”を期すること」
  • 「権衡(つりあい)を整えることで治療を行うこと」

私たち臨床家に求められるのは、動静相召を理解し、それを実践によって“平和”として体現していくことです。

「平」と「和」は、単なる健康状態の指標ではなく、天地自然、人間社会、そして個人の精神までも貫く、深遠なる道理なのです。

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動くことこそが平和!

さまざまな思考法をご紹介してきました。お疲れさまでした。

ここまでお読みくださった皆さまの中には、

「これは単なる妄想では?」
「なんだか非科学的だなぁ……」

と感じた方もいらっしゃるかもしれません。

でも、どうぞ安心してください。

中医学は、単なる空想や直感だけで構築された理論ではありません。

中医学は「仮説」と「検証」の積み重ね

中医学は、思惟(思考法)をもとにした観察から出発しますが、そのまま鵜呑みにして理論を組み立てているわけではありません。

あくまで、仮説を立て、それを実践によって検証し、確かめてきた歴史があります。

たとえば、

「風は動き回る。だから人の動作異常の原因は、身体の中に“風”が吹いているからかもしれない」

という仮説を立てたとします。

それをもとに、実際に動きに異常のある患者に対して、「風」を取り去る治療を行い、その効果を観察するのです。

実践と結果による選別

もしも、この治療によって症状が有意に改善されたのであれば、その仮説は支持され、「治療原則」や「処方理論」として受け継がれていきます。

逆に、効果がなければその仮説は否定され、理論としては棄却されるのです。

確かに、現代のランダム化比較試験(RCT)や統計処理を用いた臨床研究に比べれば、中医学の検証法は厳密性に欠ける面もあるかもしれません。

しかし、過去数千年にわたり、多くの医家が実践を重ね、実証されたものだけが今に伝わっているのです。

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中医学は科学です

中医学は今も進化を続けています

そして中医学は、決して過去の遺産にしがみついているわけではありません。

現在でも、AI技術を用いた診断支援、バイオテクノロジーによる基礎研究、臨床試験の設計など、最先端の科学技術を積極的に取り入れています。

その中で、古典に記された知見の再検証や再評価が進められており、

  • 効果が実証されれば、それは理論として受け継がれ
  • 効果が否定されれば、現代の中医学からは自然と姿を消していきます

つまり、中医学は今もなお、変化し続ける厳しい自然淘汰の中にあるのです。

中医学は本当に“非科学的”でしょうか?

仮説を立て、実践し、検証し、結果に基づいて淘汰・進化する。

その姿は、まさに科学的営みそのものではないでしょうか。

確かに中医学の表現は、現代科学とは異なる概念や言葉を用いています。しかし、その本質は、「人間を観察し、理解し、癒す」という、普遍的で科学的な営みの一つであると、私たちは考えています。

最後に

三回にわたって、中医学における特有の思考法――

  1. 象思惟(現象の観察と類比による思考)
  2. 系統思惟(全体と部分、環境との関連による思考)
  3. 変易思惟(絶え間ない変化とその調和に注目した思考)

をご紹介してきました。

初めて触れる方にとっては、今はまだ完全には理解しきれないかもしれません。

ですが、どうぞご安心ください。

これらの思考法は、中医学を学び続ける中で何度も繰り返し現れます。

そのたびに、少しずつ理解が深まり、やがてあなた自身の感覚として定着していくはずです。

中医学の世界を旅する上で、これらの思考法は必ず道しるべとなります。

どうぞこれからも、安心してその道を歩んでいってください。


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