宋の太平年間、ある地方に三十を過ぎた秀才がいました。
郡の学校を優秀な成績で卒業し、次なる科挙の試験に向けて日夜勉学に励んでいましたが、ある頃から重く鈍い頭痛に悩まされるようになりました。
最初は、「きっと勉強のしすぎだ」と軽く考えていたものの、やがて痛みは激しさを増し、顔面にしびれを感じ、後頭部と脇の下からは冷や汗が流れ出すようになりました。
使用人があわてて医者を呼びましたが、数人の医師が入れ替わり立ち替わり訪れても、処方された薬は一向に効果がありませんでした。
心配した家族と友人の勧めで、秀才は湖北省・巫山に住むという頭痛の名医を訪ねることにしました。
巫山に到着し、名医のもとを訪れた秀才は、深々と頭を下げました。
「どうか、この頭痛をお救いください……」
名医は落ち着いた様子で頷くと、小さな丸薬を取り出し、秀才に手渡しました。
「これを口に入れ、噛み砕いたら荆芥湯で流し込んでください」
秀才が丸薬を口に含んでゆっくり噛むと、ふわりと清らかで力強い香りが鼻腔を抜け、すうっと脳の奥に広がっていきました。
その瞬間、彼の額ににじんでいた汗が引き、苦しげだった表情が柔らかさを取り戻していきました。
――翌日の午後。
秀才は穏やかな顔で目を覚まし、自分があの耐えがたい痛みから解放されていることに心から驚き、感動しました。
その日、庭の薬棚を眺めていた秀才は、昨日の丸薬の原料と思しき白い根と茎の草が干されているのを見つけました。
香りが強く、形も独特で、他の薬草とは一線を画しているように見えました。
翌朝、名医のもとを再び訪れた秀才に、医者は静かに微笑んで言いました。
「あなたはすでに、あの薬草を見たようですね。ならば、もう隠すこともありません。」
「この薬は、我が家に代々伝わる秘薬です。特に頭痛に効く、強力な鎮痛薬ですが……ただひとつ、残念なことに、この薬草にはまだ名前がないのです」
名医は続けました。
「医者として薬草の名を知らぬのは恥ずかしい話ですが、あなたは秀才――教養あるお方です。どうか、この薬草にふさわしい名を与えていただけませんか?」
秀才は、両手で医者の手をしっかりと握り、こう答えました。
「昨日、私は先生の庭の薬棚で、この草と出会いました。その香りと白い姿が今も忘れられません。ならば、こう名付けてはいかがでしょう。『香白芷(こうびゃくし)』と。“香”は、この薬草が放つ特有の清らかな香り。“白”はその色の純粋さ。“芷”は、古くから香草の意味で使われた言葉です。頭痛を抜く香気の草に、これ以上ふさわしい名はありません」
医者は顔をほころばせ、手を打って大笑いしました。
「見事な名だ! これで、この草もようやく世に名を得ることができる!」
こうして「香白芷」と名付けられた薬草は、巫山を出発点として世間に知られ、やがて全国で広く用いられるようになりました。
それは、名医の腕前と、一人の秀才の感性と知恵が結びついて生まれた、薬草命名の物語でした。
おしまい
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