昔々、筆架山のふもとに、二つの家族が隣り合って暮らしていました。
それぞれの家には子どもが一人ずつ――紅豆と白果という、無邪気で仲の良い幼なじみがいました。
ある日、白果が十歳になった年、彼女の母親が「地方病」と呼ばれる恐ろしい病にかかりました。
この病は手強く、どんな薬を用いても一年と命がもたないといわれていました。
崑崙山にだけ、この病を治すことができる霊薬があるという噂がありましたが、山道は険しく、無事に戻ってこれた者はほとんどいませんでした。
白果の父は妻を救おうと崑崙山へ行く決意をしますが、病の妻と幼い娘を残すことをためらっていました。
そのとき、隣に住む紅豆の家族が申し出ました。
「私が薬を取りに参りましょう」と紅豆の父が言いました。
白果の父は恐縮して断ろうとしましたが、紅豆の母が言いました。
「水は魚を助け、魚は水に生きる――隣人として助け合うのは、人の道です。」
こうして紅豆の父は崑崙山へ旅立ちました。
けれど、一年経っても帰らず、白果の母も病に倒れ、ついに命を落としてしまいました。
やがて知らせが届き、紅豆の父も薬を採る途中、崖から落ちて亡くなっていたことがわかりました。
白果は母を、紅豆は父を失いましたが、二つの家族は互いに支え合い、長い歳月を苦しみながら生き抜きました。
そして、やっとのことで、ふたたび笑顔を取り戻しました――。
紅豆が十八歳になった年のこと。
今度は紅豆の母が、あの地方病にかかってしまいました。
紅豆は決意しました。
「今度は私が崑崙山へ行く」
母の世話を白果に託し、紅豆は旅に出ました。
崑崙山への道のりは、険しく困難の連続でした。
ようやく山に辿り着いた紅豆の前に、山の神が現れ、薬果を手渡しながらこう言いました。
「これは天地の霊根が結んだもの。天の秘密を漏らしてはならぬ。この果実は、そなたの母のためだけにある。他の者が口にすれば、そなたは声を失い、獣の姿へと変わるであろう。――決して忘れるな」
紅豆は何度も頭を下げ、薬果を受け取り、昼も夜も歩き続けて帰途を急ぎました。
その頃、家では白果が、紅豆の母の世話を自分の母のように懸命に続けていました。
ある日、紅豆の母が静かに言いました。
「白果、もう世話はしないで。これは人にうつる病気なの」
白果は涙を浮かべて答えました。
「私は、あなたに育てられた娘です。母の恩を返さない娘が、どこにいるでしょうか」
しかし、間もなく白果も地方病にかかってしまいました。
紅豆が帰宅すると、すぐに母に薬果を食べさせました。
母は息を整えながら問いました。
「……いくつ、薬を持って帰ってきたの?」
「……ひとつだけ」
母は紅豆と白果を見つめ、静かに微笑むと、決意を固めました。
「白果、畑にいるお父さんを呼んできて。話したいことがあるの」
白果が家を出たあと、母は紅豆に言いました。
「白果は、私の世話で病気になってしまった。あの子はまだ若い……。薬は、彼女に飲ませなさい。私は……もう十分生きたわ」
紅豆は母の布団の前でひざまずき、涙を流しました。
「どうか先に飲んでください。私はもう一度、崑崙山に行きます。白果のために」
母はやさしく紅豆の涙をぬぐいながら言いました。
「分かったわ。薬を布団のそばに置いてちょうだい。……でも、その前に……少し手を借りて、トイレに行きたいの。白果を呼んできて……」
紅豆はその言葉を信じ、家を出ました。
――けれど、戻ってきたとき、母はすでに……
自らの着物の帯で首を吊り、息絶えていました。
紅豆と白果は母を葬り、紅豆は薬果を白果に手渡しました。
白果は何も知らずに薬を飲み、病は癒え、元気を取り戻しました。
しかし、感謝を伝えようとしたとき、紅豆の姿はすでに変わっていました。
犬よりも小さく、猫よりも大きな黒い獣に――
紅豆は山の神の言葉通り、声を失い、姿を変えられてしまったのです。
その後、彼は「白猸子(はくびし)」と呼ばれる山の守り神として人々に尊ばれるようになりました。
白果はその姿に驚き、すべてを悟ると、声を上げて泣き崩れました。
「紅豆! あなたのお父さんは、私の母のために命を落とし、
あなたのお母さんは、私の命を守るために命を断ち、
あなた自身も……私のために獣になった――
私に、どう償えばよいの……?」
白果は思いました。
(この薬が地方病を治す力を持つのなら、故郷に植えて根付かせば、今後地方病にかかった人たちを救える!)
だが、すでに薬果は自らの体内にありました。
これを広めるには、ただ一つ――
自らが土となり、種を残すしかなかったのです。
白果は遺書を残し、自ら命を絶ちました。
人々はその願いを叶え、彼女の亡骸を棺に入れず、柔らかな山のふもとに静かに埋葬しました。
すると間もなく、そこから一本の若木が芽吹き、やがて大樹となり、実を結びました。
その果実は地方病を治す霊薬となり、村人たちの命を救い続けました。
村人たちは、この実を「白果」と名付けました。
白猸子は、春も夏も秋も冬も、その木のそばを離れず、静かに守り続けました。
白果の木は、その由来を決して忘れることなく、緑の葉を揺らし、花と実に、犠牲の記憶と涙の物語を宿していたのです――
※現実の銀杏(白果)は、適量なら薬用に使われますが、食べすぎると毒になるため、注意が必要です。
おしまい
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