祖父と孫の中医学物語 第十七話 嘔吐を止める聖薬

中医学物語

山のふもとに、羊を飼って暮らす夫婦がいた。

二人にはひとり息子がいた。

彼は真面目に働こうとせず、遊び惚けては飲み歩き、あげくには賭博にも手を出すようになっていた。

もともと多くない家財は、みるみるうちに失われ、ほとんど一家離散寸前まで追い込まれていた。

周囲の村人や、町の年配者たちが何度も忠告し、「今ならまだ引き返せる」と諭したが、彼は一向に耳を貸さず、ますます深みにハマっていった……。


ある日、彼はいつもの仲間たちと町で飲み過ぎ、さらに冷たい果物をむさぼった。

その帰り道、彼は突如として嘔吐を繰り返し、家に着いたころには激しい下痢まで始まった。

体はすっかり干からびた若芽のように萎れてしまっていた。

数日間経っても、彼は何も口にできず、少し湯を飲んでもすぐに嘔吐した。

その姿に、両親はただただ胸を痛めるしかなかった。

藁にもすがる思いで、両親は山の中腹にある茅葺きの家を訪れ、助けを求めた。

両親に案内され、祖父と指月がふもとの家を訪れると、祖父は患者の様子を一目見るなり、原因をすぐに見抜いた。

「指月よ。冷たい果物と酒による胃腸の傷み、それにより吐き気が止まらない……さて、どう治す?」

祖父の問いに、指月は元気に答えた。

「もちろん、嘔吐を止める聖薬を使います!」

祖父は満足げにうなずいた。

「そうだ、生姜の汁は止嘔の効果が抜群だ」


祖父は夫婦に命じて、生姜を一塊すり潰し、汁を搾ってもらった。

さらに、薬籠から「藿香正気散(かっこうしょうきさん)」を取り出し、生姜汁と混ぜて、息子に飲ませた。

すると、飲み終えて間もなく、あれほど苦しんでいた吐き気がぴたりと止まった。

彼はお腹の中に、じんわりと温かい気が巡り出すのを感じはじめた。

そして、空腹を覚えるようになった。

「……何か食べ物を。そうだ、粥が欲しい……」

その言葉を予想していたかのように、祖父は両親に、すでに山芋粥を作らせていた。

粥を口にすると、息子はなんと吐かずに飲み込むことができた。

実に三日ぶりの、まともな食事だった。

「吐かずに食べられるようになれば、体力の回復は早い」

夫婦は涙を浮かべて何度も頭を下げ、若者もまた、死の淵から救い出してくれたことに、深く感謝した。


「それではこれで失礼」

帰ろうとした祖父をみて、息子が気づいた。

「先生、靴ひもが解けていますよ!」

祖父はニッコリと微笑み、こう言った。

「やれやれ、歳を取ったものだ。手は震え、目は霞んで、細かい文字も見えにくい。最近は本を読むにも拡大鏡が手放せない。こうして靴ひもが緩んでいても、自分で腰を曲げて結ぶのもひと苦労だ……すまないが、結んでくれないか?」

息子は喜んで膝を折り、祖父の靴ひもを結んだ。

すると祖父は、しみじみと語りかけた。

「ありがとう。若いというのは、本当に素晴らしい。目も手もよく働く。でも見てごらん、年を取ると、人はどんどん衰えていくんだ。君も、いまのうちにやるべきことをしっかりやりなさい。この老いぼれのように、目も手も利かなくなってからでは、何もできなくなるぞ」

その言葉は、雷のように息子の胸に響いた。

息子がまだ反応しきれないうちに、祖父と指月は静かに背を向けて、山へと戻っていった。


それからというもの――

息子は一切、酒や博打に手を出すことはなくなった。

両親のもとで真面目に羊を飼い、畑を耕した。

やがて借金を完済し、結婚して家庭を築いた。


帰り道、指月は不思議そうに祖父に尋ねた。

「祖父? 祖父は手なんて震えてないですよね。目だって全然見えてるし、毎日私よりも本を読んでいます。拡大鏡なんて一度も使っていません。靴ひもだって、毎朝自分でさっと結んでいるではありませんか。それなのに、なんであの息子に“見えない、できない”って言ったのですか? なんでウソをついたのですか? 祖父はいつも私に、“人は嘘をついてはいけない”って言ってたじゃありませんか」

祖父は、指月の頭を煙管でコツンと軽く叩いて言った。

「“嘘が真になれば真もまた嘘、真が嘘になれば嘘もまた真”――この世の真偽なんて、はっきり割り切れるもんじゃないのだよ。大事なのは、言葉の表面じゃなくて、その奥にある“心”を見ることだ。お前も大きくなれば、きっとわかる日が来るよ」


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