祖父と孫の中医学物語 第十九話 生姜と棗

中医学物語

『黄帝陰符経』には、こう書かれている。

動くに其機を以てすれば、天地自然の理に従いて何事も成就す(動其機,万化安)

この六文字を、指月は何度も繰り返し見ては考えていた。

——病を治す“最善のタイミング”とは何か?

——どうすれば、そのタイミングに的確な手を打てるのか?

——なぜ他の人は、姜棗茶で生理痛を治せないのに、祖父が使うと治ってしまうのか?

それを理解する鍵は、一人の少女の、長年にわたる“頑固な月経痛”の物語にあった。


ある日、ひと組の母娘が茅葺きの家の門を叩いた。

祖父が戸を開けて、「何か用かな?」と声をかけると、母親が話し始めた。

「うちの子は、毎月の月経のたびにお腹が激しく痛むんです。あまりにひどいと、床を転げ回るほどで……湯たんぽなどで温めても効かないんです。先生、何かよい手はないでしょうか?」

「中へ入りなさい。指月、案内しなさい」

指月は診察机の椅子に少女を座らせると、彼女の脈をとってみた。

「おや、手が氷のように冷たい。脈もずいぶん沈んでいて遅いですね」

祖父は問いかけた。

「“沈脈”は何を示している?」

「“沈”は“裏”にあり、気血が不足しているということです。川の水かさが足りないと、水面が下がるように、気血が足りないと脈は沈みます」

祖父は満足そうに微笑んだ。

指月が、象で物事を理解し、喩えをあげられるようになっていることを嬉しく思った。

理解しているから、喩えをあげられるのだ。

「では、“遅”は何を意味する?」

指月は少し考えて答えた。

「“遅”は寒を意味します。気候が暖かければ、人も物も動きが早くなる。でも寒ければ、みんな動きが鈍くなる。気血も同じで、温まれば流れ、寒ければ滞ります」

祖父は肯いた。

「では、どうして痛むのか?」

「流れなければ痛み、栄養されなければ痛みます。通じなければ“痛”、不足しても“痛”です」

「では、なぜ通じず、なぜ栄養されない?」

この問いには、小指月は答えられなかった。

言葉が喉まで出かかったが、何も出てこなかった。

祖父は母娘に向かって話し始めた。

「今後は、もう冷たい果物や飲食をやめなさい。冷たいものは全身の脈を締め付ける。女子はもともと陽気が不足しやすい。運動でもしなければ、冷えた食べ物でますます陽気が弱り、手足は冷え、痛みはひどくなる。最終的には、子宮の中にしこりがることすらある」

母親はハッとしながら答えた。

「そういえば、この子はトマトや果物を毎日のように食べていました。ダイエットのつもりで、それを食事代わりにするほどでした」

祖父は首を横に振った。

「それはいけない。以前にも、果物だけでダイエットしようとした女の子がいたが、月経が完全に止まり、結局子どもが産めなくなったんだ」

母娘は、ようやく事の重大さに気づいたようだった。

「布団に入っても温まれないほどに冷えてしまったら、果物なんて食べてる場合じゃないのだよ」


指月は感心していた。

祖父はたった一目で病の原因を見抜いたのだ。

「では、どう治すのか。指月よ、“不通”には何を使う?」

指月はハッと我に返ると、あわてて答えた。

「えっと、寒が凝って通じないなら……そうだ、生姜です! 生姜は辛味と熱性があるので、すべての寒を散らします!」

「では、“不栄”には?」

「脾は気血を生み出す源です。だから、脾を補うには“大棗”を使います。大棗は脾を直接に補って精を生み出します。このようにして気血が充足すれば、腹部に血液が巡り、痛みも生じなくなります。

指月はその二味の薬を紙に書き記した。

さらに、煎じるときには黒糖を加えるように、と説明した。

そして、最後にこう付け加えた。

「でも煮すぎてはいけませんよ。生姜の辛味は、長く煮ると飛んでしまって、寒を散らす力が弱まってしまいますから」

説明を聞いた母親は、少し困った様子だった。

「……このお茶、実はもう試してみたんです。効果がなかったので、先生のところに来たんです」

指月は戸惑った。

(じゃあ……処方を変えるべき……?)

祖父は指月の目を見つめながら、首を横に振った。

「方(処方)というのは、以前から使われているものばかりだ。でも、それを“どう使うか”を、ちゃんと考えたことはあるかい?」

その場にいた母娘、指月までもが、驚いたような顔をした。

「……薬にも、飲む“方法”があるのですか?」

「同じお茶でも、飲み方一つで効き目が変わるんだよ。君は、どんなふうに姜棗紅糖茶を飲んでいたんだい?」

小さな声で少女は答えた。

「いちばんお腹が痛いときに、慌てて飲んでました……」

「そのとき、生姜の細切りは食べた?」

「いえ、あれは辛くて苦手で……」

祖父は笑って言った。

「そこが問題だよ。薬というのは、美味しくなくても口にするものだ。たとえ辛くても、効くなら飲むべきだよ。ご飯を食べてるんじゃない、病気を治してるんだからね」

祖父は、頑固な痛経を治すための“姜棗茶の飲み方”を二つ、彼女たちに教えた。

一、月経が来る七日前から、毎日一杯ずつ飲むこと
二、飲むときは、生姜の細切りと棗の実を一緒に噛んで、しっかり飲み込むこと

「こうすれば、丹田(お腹の底)がまるで“かまど”のように熱くなり、寒気は太陽に照らされた闇のように逃げていき、気血は水の流れのように滑らかに巡り、痛みは跡形もなく消えてしまうよ」


半年後——
あの母娘がふたたび茅葺の家を訪れた。

だが、今度は病を診てもらうためではなく、感謝を伝えるためだった。

娘はもう、生理痛に悩まされることはなくなっていた。

顔色は赤みを帯び、体全体がしっかりとしてきた。

指月は最初その少女に気づかず、変化に驚いた。

半年前の脈は、まるで風に吹かれる柳のように弱く、沈んでいて遅かったが、今は、力強け脈打っていた。

これはまさしく、姜棗茶によって風寒が外へと追い出された証だった。


祖父は、指月に『黄帝内経』の言葉を教えた。

主たる病を抑えるには、まず必ず病の原因を突き止めなければならない(必伏其所主,而先其所因)

「つまり、病の本当の原因に目を向け、それが長年にわたる寒気の蓄積や、気血の不足であれば、その根にこそ手を打たねばならないということだ。病気というのは、襲ってくるときは山のように重く、治るときは糸を引くようにゆっくりだ。たかが痛経。だがその原因は、長年の冷えと気血の消耗だった。治療は、痛みが出てからではなく、“まだ痛まぬうちに”始めなければならないよ。それができれば、痛経など恐るるに足らないのだよ」

だからこそ——
祖父は続けて言った。

「慢性病は、“急”のときに治すのではなく、“平時”にこそ備えることが肝要なのだ。普段から養生せず、いざ痛みが出てから“お助け薬”に飛びついても、根本からの治療にはならない。痛みが出たときだけ姜棗茶を飲んでも、それでは一時しのぎにすぎない。日々、自分の“気血”をしっかり養っていくことこそが、真の養生というものなんだよ」


その夜、指月はノートに書き記した。

生姜棗茶、痛経を治す。
主病を抑えるには、まず必ず病の原因を突き止めなければならない。
月経前、一週服す。
姜と棗を噛みしめて、経の痛みを止める。


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