夏になるとよく目にする藿香(かっこう)や香薷(こうじゅう)といった、解表化湿薬。
(けれどこの二つ、名前にどちらも「香」がついているが、いったい何が違うのだろう?)
指月は疑問を抱きながら、祖父に聞こうかどうか迷っていた。
だが結局、声には出さなかった。
なぜなら、きっと祖父はいつものようにこう答えるに違いないからだ——
「梨の味が知りたければ、自分でかじってみることだよ」
そこで小指月は、自分で摘んできた香薷と藿香を並べて嗅ぎ比べてみた。
確かにどちらも“香る”草だが、その香りはまったく異なる。
藿香の香りは、ふわっと柔らかく幽(かす)かで、なんとも心地よく、嗅いでいると自然と食欲が湧いてくる。
それもそのはず——藿香には、邪気を祓い、腸胃の働きを整える働きがある。
湿濁を降ろし、清陽を昇らせることで、さらに消化を助け、胃腸を健やかに保つ“中焦の名薬”なのである。
一方、香薷の香りは、はっきりとした強さを持っている。
その濃厚な芳香は、外へと発散する力が強く、だからこそ香薷は、発汗解表の作用にすぐれているのだ。
この体験を祖父に話してみると、祖父はにっこりとうなずいた。
「医を学ぶ道には、“なぜ?”が山ほどある。でも、すべての“なぜ”を人に尋ねていては、真の学びにはならない。魚をもらうのではなく、自分で釣る術を覚えるんだよ」
そして、こう続けた。
「与える者のほうが、より大きな幸せを得るものだ。本当に学問をする者、医道を志す者というのは、太陽のようでなくてはならん。自分が光を放ち、温もりを人々に与える側であって、他人から光を求めるばかりではいけないんだ。わかるか? 指月よ」
指月はまだすべてを理解できたわけではなかったが、肯いた。
「おまえは、“人に教える医道”を学びたいのか? それとも、ただ“秘伝の処方を求めて彷徨う術”を学びたいのか?」
指月は答えた。
「ぼくは、太陽みたいになりたい。医道を学びたい!」
祖父は目を細めて肯き、さらに語った。
「医道を学ぶ者は、天地自然を感じ、万物の理をつかむことが大切なんだ。人から与えられるのを待つのではなく、自ら気づき、自ら試し、惜しまず与える者にならなければならないんだよ」
そう言って、祖父は指月にこんな話をしてくれた——
あるところに、二人の小鬼がいて、閻魔様の前で次に生まれる人生を選ぼうとしていた。
閻魔様は言った。
「ここに二つの運命がある。ひとつは、生まれてからずっと、人から物をもらって生きる運命。
もうひとつは、生まれてからずっと、自分の物を人に与えて生きる運命。さあ、どちらを選ぶ?」
すると、一人の小鬼がすばやく答えた。
「もらってばかりの人生がいい! そのほうが楽そうだ!」
もう一人の小鬼は、仕方なく残された“与える命”を選んだ。
では、その後どうなったか?
祖父は笑って言った。
「“もらってばかり”を選んだ小鬼は、地上に生まれ変わって物乞いになった。一方、“与える命”を選んだ小鬼は、大きな徳を積む長者となり、橋をかけ、道を整え、財を施して人々を助ける者となったのさ」
祖父と指月は顔を見合わると、ハハハと笑った。
「最も幸せな人間とは、惜しみなく与える人」
——それは彼らの信条だ。
太陽のように、ただそこに在るだけで、周囲をあたため、報いを求めず、ただ静かに照らし続ける。
そこに、本当の喜びがあるのだ。
指月はさっそく、ノートに書き記した。
与えることは、受けることよりも幸福である。
より深く、真に喜びをもたしてくれる。
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