風を治す薬はどれも辛散の性質をもち、発散に優れるが、防風だけはそこに一分の甘潤さを湛えている。
ゆえに、防風は風薬のなかでも珍しい「潤剤」なのだ。
指月はその「風薬の中の潤剤」という言い回しがよく理解できず、祖父に尋ねた。
祖父はにこりと笑って、「実際に噛んでみればわかるよ」と言った。
さっそく指月は薬棚から防風と、その他の風薬、たとえば羌活や柴胡を取り出し、それぞれを口に含んで味わってみた。
防風は、口の中に仄かに甘みを残し、潤いを感じさせたが、柴胡や羌活などは、噛めば噛むほどパサついていて、明らかに乾燥していた。
指月は嬉しそうに、「わかりました! これが風薬の中でも潤いを持つということなんですね!」と声を上げた。
古書にある通り、風薬というのは往々にして津液を損ないやすい。
だから多用は禁物だ。
しかし防風にはその心配がない。
潤いを保ちつつ、風邪を散らすことができるのからだ。
「なぜ祖父は、防風をよく使うのですか?」
「想像してごらん。風が吹く――でも、それがただの乾いた風だったら、それは“剛の風”だ。けれども、そこに細やかな“牛毛のような雨”が混じっていたらどうだ? それは“柔らかな風”になる。柔らかな風は、雨を伴い、大地を潤す。それによって、五臓六腑が目覚め、内に生き生きとした“生発の気”が生まれるんだ。まるで“春風がまた江南の岸を緑に染める”ように」
指月は思わずうなずいた。
「だから祖父は防風をよく使うのですね。ただ単に風邪を祓うためじゃなくて、体の中に“生発の気”――つまり、新たに命を芽吹かせる力を生み出すために」
祖父はその理解を喜んた。
防風という薬は、一見目立たないが、名方のなかにはよく顔を出している。
まるで春風や春の雨のように、日々の暮らしでは気づかれにくくとも、その存在がなければ、柳は芽吹かず、燕は帰らず、蛙も鳴かぬ――。
指月は、荊防敗毒散の処方を手に取り、祖父に尋ねた。
「この荊防敗毒散って“咳を治す第一の神方”って言ってましたよね? 他の人が治せなかった咳も、この薬で治したって。いったいどういう仕組みなのでしょうか?」
「荊防敗毒散は、もともとは“益気解表”の処方なんだよ。明の名医・喩嘉言(ゆかげん)は、この方剤を外邪が裏に入って痢疾になったときに用いた。表の邪を散じて、裏の停滞を通じさせ、清陽の気を上へと通し、痢が自然に止まるようにしたんだ。彼はこれを“逆流挽舟(逆流を舟で引き戻す)”と称した。つまり、大便が泥状で、湿濁が下に落ちているような状態に、この薬はとても効いたんだ。でも、私はこの処方を“肺気不宣による咳嗽”という別の病態にも用いているよ」
指月は、荊防敗毒散の処方を暗唱したあと、さらに質問を重ねた。
「でも、この処方の中には、紫苑や百部、冬花のような“咳を止める薬”は入っていません。なのに、なんでこれが“咳を治す第一の神方”になるのでしょうか?」
祖父は指月の“根本まで掘り下げる姿勢”をとても気に入っていた。
学問とは、まさに“問うこと”から始まるものだからだ。
「《黄帝内経》にはこうある。“風が雲を吹きとばし、蒼天を明らかにするがごとし”と」
指月はまだ完全には理解できていない様子だった。
祖父は微笑みながら続けた。
「極意は一言に尽きる。この言葉にすべてが込められているよ。まだわからないようだね……それなら、外に出て天を見ておいで」
指月は不満げに唇をとがらせながらも、言われた通りに家の外へ出た。
外は曇りがちで、どこか重く、雨が降りそうな気配だった。
指月は空を見上げた。
空はどんよりと曇っていて、胸の奥まで重たくなるような空気が流れていた。
まるで今にも小雨が降り出しそうだ。
頭上には分厚い雲がたれこめ、ときおり黒い雲も混じっている。
指月は歩きながら、ふと思いを巡らせた。
「風が雲を吹き払えば、明らかになる。まるで蒼天が目に見えるかのように――いったい、どういう意味なんだろう?」
祖父の言葉には、きっと深い意味があるに違いない。
風、雲、蒼天――この三つを並べて語る理由はなんだろう?
ただの詩的な比喩ではない、そこには薬の理が込められているはずだ――と、指月はひとり静かに思索を続けていた。
するとその時、ふいに一陣のそよ風が頬を撫でていった。
風は柔らかく、どこか胸の奥にこびりついていた重苦しさまでも一緒に吹き払ってくれるようだった。
ふと顔を上げて空を見上げると、さっきまで空を覆っていた黒雲が、風に押し流されるように少しずつ薄れていくのが見えた。
さっきまで今にも雨が落ちてきそうだった空が、ふとした瞬間に雲が裂け、光が差し込み、まるで幕が開いたように青空が顔を覗かせたのだった。
「……なるほど、これが“風が雲を吹き払い、蒼天が現れる”ってことか」
指月の胸に、何かがストンと落ちたような感覚が広がっていた。
指月はさらに考えを巡らせた。
(なぜ、あんなに厚かった雲が消えて、こんなにも晴れ渡ったんだろう?――そうか、雲が吹き払われたからだ。じゃあ、その雲を吹き払ったのは……風だ! そうだ、風だよ!)
そう叫ぶと同時に、指月はパンっと自分の額を叩いた。
「わかった、わかったぞ!」
思わず飛び上がってしまうほどの喜びが、全身に広がっていた。
まるで閉じていた窓が一気に開いたような、視界が一気に開けたような感覚だった。
その瞬間の興奮と歓喜は、どんな甘い飴玉よりもずっと甘く、祖父からどれだけ褒められるよりも嬉しいことのように思えた。
祖父は家の中で、静かに一杯の茶をすすっていた。
遠くのほうから、指月のはしゃいだ声が風に乗って届いてくると、祖父はふっと口元をほころばせた。
指月がようやく思い至ったことを、祖父はすぐに悟った。
――そう、祖父がいつも教えていたのは、薬の名前でも、病の分類でもない。
それは天地自然を感じとり、物事の本質をつかむための「ものの見方」だった。
祖父は知っていた。
どんなに書を積んでも、それがなければ医者にはなれぬと。
祖父は一つ、静かに息を吐いた。
深く澄んだまなざしを、家の外へ――指月のいる方へ、さらにその先の遥かな青空とへと、ゆっくりと向けた。
指月は急いでノートに書き記した。
荊防敗毒散は、咳の治療における第一の神方である。
その構成はすべて風薬であり、肺の気を通し調えることで、咳を治す――すなわち「肺気鬱閉」による咳に効く処方である。
肺気の鬱閉とは、まるで厚い雲が空を覆うようなもの。
肺は「天気を主る」が、その働きがこの曇天のように滞ってしまう。
そこへ風薬が入れば、それは爽やかな風となって曇り空を吹き払い、ふたたび青空が見えるようになる。
こうして肺気は本来の通達の性質を取り戻し、濁陰による閉塞が解けるのである。
ゆえに、大気の流れが転じれば、病邪もまた散り、肺気が通じれば、咳もまた自然と消えていく。
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