小指月は《黄帝内経》の「病機十九条」を背誦していた。
帝曰:「願わくは病機の如きを聞かん。」
岐伯曰:「諸風の掉眩は皆肝に属す;諸寒の収引は皆腎に属す;諸気の膹鬱は皆肺に属す;諸湿の腫満は皆脾に属す;諸熱の瞀瘈は皆火に属す;諸痛・痒・瘡は皆火に属す;諸厥・固・泄は皆下に属す;諸痿・喘・嘔は皆上に属す;諸禁・鼓栗、神守を喪うが如きは皆火に属す;諸痙・項強は皆湿に属す;諸逆・衝上は皆火に属す;諸脹・腹大は皆熱に属す;諸燥・狂・越は皆火に属す;諸暴・強直は皆風に属す;諸病に声あり、鼓の如く叩けば響くものは皆熱に属す;諸病に膚腫・疼酸・驚駭を伴うものは皆火に属す;諸病の反転・戾り、水液が濁るものは皆熱に属す;諸病の水液が澄澈し清冷なるものは皆寒に属す;諸嘔吐・酸・暴注・下迫するものは皆熱に属す。」
そして最後に、岐伯はこうまとめる。
「故に大要に曰く:病機を慎んで守り、それぞれの属に応じて診断する。あるものはその有り様を求め、ないものはその無き様を求む。盛なるものにはそれを責め、虚なるものにもまたそれを責める。まずは五勝を明らかにし、血気を疏通せしめ、調達を得さしめて、和平に至らしむ。これを病治の道という。」
そのとき、入り口の戸を叩く音が響いた。
やって来たのはひとりの女性だった。
中に入ってきたその姿を見て、指月は思わず目を見張った。
首と肩がまるで木偶のように硬直し、左右に振ることも、前に曲げることもできなかった。
ぎこちない足取りは、油の切れた機械のように重かった。
指月は「どうしたんですか?」と、彼女に尋ねた。
「私はよく刺繍をしています。最近は毛糸のセーターも何着か編んでいました。二、三日前にようやく仕上げて、お客さんに届けた帰りに、大雨に降られてしまって……。濡れてしまったけれど、大丈夫だろうと思って、すぐに着替えなかったんです。その後、ご飯を食べてからお湯を沸かしてお風呂に入ったら、そのまま寝てしまって……目が覚めたら、首が全く曲がらなくなってしまったんです」
祖父は彼女の顔色を観察し、脈を取り、白膩苔(舌表面に付着する白い苔が、厚く油っぽく、べったりとしている状態)を確認した。
「これはもう長く患っている頚椎の病だね」
彼女はうなずいた。
「ええ、私は長年、刺繍やセーター編みをしてきましたから、自分の首がよくないのは前から分かっていました。でも、みんな私の刺繍やセーターを気に入ってくれて、いつも注文が途切れないんです」
祖父はにっこり笑った。
「それはいいことだ。腕が確かで、みんなから喜ばれている証拠だね」
彼女は苦笑した。
「嬉しいことではあるんですが、注文が毎日次々に入ってきて、お客さんからも催促されることが多くて……ときには徹夜しても追いつかないんです」
「あなたがセーターを編むのは、何のためだろう?」
彼女は少し考えてから答えた。
「それは、生活を良くしたいからです」
「『福は禍を伏す』というが、今あなたは働きすぎて身体を壊してしまった。これで本当にいい生活ができると思うかい?」
婦人はしばらく考え込んでいた。
「たしかに、おっしゃる通りです……」
「そんなに必死に働いてお金を稼いでも、体を壊してしまったら、稼いだお金もすべて治療費に消えてしまうよ」
彼女はその言葉を聞いて、頭の中の霧が晴れたようにハッとし、「先生のお言葉、本当にその通りです」と強く同意した。
祖父は穏やかに続けた。
「物事には緩急がある。張りつめすぎず、緩めすぎず、そのバランスを取ってこそ、長く続けられるんだ」
そう言うと祖父は、壁に掛かっていた古琴を手に取った。
その琴の弦はしっかり張られておらず、ゆるゆるで、爪弾いても音がぼやけていた。
「ほら、この琴の弦、まだきちんと張っていないが、これで弾いたらどうなると思う?」
「いい音は出ません」
「じゃあ、もし弦をきつく張りすぎたらどうなる?」
彼女はくすっと笑いながら言いました。
「そんなの、すぐに切れちゃいますよ」
祖父は「そう、不緩不急――張りすぎず、緩めすぎず、ちょうどよくあってこそ、美しい音が出るんだ」と笑いながら言いうと、琴の弦を適切な張り具合に調えた。
そして、「高山流水」の一節を弾き始めた。
その音色はまるで深い森の中に入ったようであり、また静かな川辺に座っているようでもあり、聴く者すべての心がすっと晴れ渡り、脳裏の緊張がふわりと解けていくようだった。
彼女は驚いた様子で、「不思議ですね……さっきまであんなに固かった首が、なんだか少し柔らかくなったみたい」とつぶやいた。
「あなたの体はここにあっても、心はまだ毛糸に縛られている。心が緊張したままでは、首や肩の筋肉もずっとこわばったままだ。心がほぐれ、通じてこそ、筋骨もまた柔らかくなるんだよ」
彼女は静かにうなずきながら、しばし思いにふけった。
「今こそ少し自分を休ませるときだ」と思ったのだ。
――機(はた)の糸を張りすぎれば、いずれ切れてしまう。
そうなれば本末転倒、せっかくの努力も無駄になってしまう、と。
老先生は目的を達したと見て、指月に尋ねた。
「どうして首がこわばるのか、分かるかい?」
指月はすぐさま『黄帝内経・病機十九条』を暗唱した。
「諸(これ)痙(けい)項強(こうきょう)、皆(みな)湿に属す。つまり、痙攣や首のこわばりは、みな湿(しつ)の邪に関係するのです」
「では、どう治す?」と祖父が重ねて問うと、指月はにこりと笑いながら答えました。
「もちろん、いつものやり方です――《脾胃論》にある古方、『羌活勝湿湯』を用いましょう」
祖父は黙ってうなずきました。
「古典によれば、「羌活勝湿湯」は肩背の痛み、とくに後ろを振り返ることができないような症状に対して、極めてよく効くとされている。肩や背中に広がる一帯の湿濁が経脈をふさぎ、気血の運行を阻んでいる。ここに、湿を駆逐する力をもつ風薬を一式用い、気血をすみずみまで吹き通してやれば、血脈は自然に巡り、病もまた自ずと癒えていくんだ」
指月は、淡い黄色の宣紙に筆を走らせ、七味からなる羌活勝湿湯の処方を書き記した。
「羌活、独活、防風、蔓荊子、藁本、川芎、生甘草」
この薬を三回ほど服用しただけで、彼女の浮いて緊張していた脈は、たちまち柔らかく穏やかになった。
肩背に滞っていた湿と風はすっかりと抜けていた。
まさに――「心脈通じて柔緩なれば、筋骨もまた和す」というの教え通りであった。
指月は、ノートに書き記した――
『脾胃論』曰く:
肩背の痛み、振り返ることができず、あるいは背中の痛みや首のこわばり、腰や腎(腰背部)が自由に回らないのは、太陽経の気が鬱して通らぬためである。
このようなときは風薬をもってこれを散じ、羌活勝湿湯をもって主とす。
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