指月は『中薬大辞典』を開き、白芷という薬草について考え込んでいた。
書かれている古典文献の引用や、現代の研究報告が山のように並んでおり、指月の頭はぐるぐると混乱していた。
(中薬の世界はまさに大海のごとし。学ぶコツを掴まなければ、学べば学ぶほど負担が重くなって、ますます混乱してくる。でも、学びの道筋さえ掴めば、小さな個々の情報も一つにまとまり、体系化できる。そうして初めて、小を以て大を成すことができるんだ)
祖父は指月が古書の山にうずもれ、必死で本をかじっている様子を見ていた。
(またしても鑽牛角尖の状態になっているのか)
鑽(さん)牛角尖とは、「牛の角の先端に穴を掘る」という意味で、転じて1,つまらない問題に頭を悩ます/どうにも解決できないことで思い悩む. 2,一つの意見や考えに固執する、という意味をもつ。
「指月。何を学んでるんだい? ずいぶん熱心じゃないか」
指月はしばらくぼんやりとしてからようやく顔を上げて、「白芷を調べているんです」と答えた。
「この白芷は頭のてっぺんから足の先まで、いろんな病に効きますよね? 本には頭痛、鼻炎、美容、歯の痛み、腹痛、帯下、それに瘡や疥癬などの皮膚病まで書いてあります。こんなにたくさんの効果があるのはすごいのですが、まるでバラバラの珠みたいで、どうやってひとつに連ねたらいいのか分からないのです……」
指月がまだ薬の勉強を始めたばかりの頃は、あれを覚えればこれを忘れるという具合で、いつも眉間に皺を寄せて悩んでいた。
そんなとき、祖父は糸の切れた数珠を持ってきた。
「中薬というものは、一つひとつの薬性や効能はまるで珠のように美しい。だが、それを貫く一本の糸がなければ、どんなに立派な珠でも、ただの散らばった飾り物にすぎない。バラバラに散らばったこの檀香の数珠のようにね。では、どうしたら、学んだ知識を生きたかたちで使えるようになると思う?」
指月はしばし考えてから答えた。
「一本の糸で、このバラバラの珠を貫けばいいんだと思います」
祖父はうなずいて、一本の糸を差し出した。
指月はそれを受け取り、しばらくして檀香の珠をひとつひとつ丁寧に通していった。
あっという間に百八つの珠がひとつの数珠となり、掌にすんなり収まった。
(バラバラでは手のひらに収まらない。ひとつに繋がることで収めることができるんだ)
それ以来、指月は薬の効能を学ぶ際、そこに貫かれる一本の糸、つまり「理」を探すという考え方を身につけていった。
しかし、今回の白芷だけは、どうにもその「糸」をつかみ損ねていた。
何日も思い悩んでも、雲が晴れるような感覚には至らなかった。
そんな様子を見ていた祖父は、指月に問いかけた。
「指月よ、おまえは考えたことがあるか。白芷という名は、なぜ『白芷』なのか?」
指月は言葉を失った。
――名前の意味まで考えたことはなかった。
すると祖父は、机の上に置かれていた半分ほどお茶が残った湯呑みを手に取り、何のためらいもなく、そのまま机の上にこぼした。
お茶はさらさらと広がり、机の木目に沿って静かに流れていった。
指月よ、扇子を持ってきてくれないか――
祖父がそう言うと、指月はまだ何のことか分からぬまま、そっと竹の扇子を手渡した。
すると祖父は、その扇をひらりと開き、先ほど机の上にこぼれたお茶を、ぱたぱたと扇ぎはじめた。
風に煽られて、机の水分は徐々に乾いてゆき、やがて水気は跡形もなくなった。
その様子を指差しながら、祖父はにこりと笑って尋ねた。
「水は、どこへ行ったかな?」
指月はすぐに答えた。
「風が連れ去っていきました」
「そうだね。風が吹いてくれたから、水の湿気が机にとどまらず、害も起こさずにすんだ。つまり、余分な水分は風に散らされ、もはや机を濡らすことはなかった。これを何というか?」
そのとき、指月の脳内に一閃のひらめきが走った。
目を見開いて額を打ち、思わず声を上げた。
「――あっ、分かりました! 分かりましたよ! 今まで悩んでいたことが、一気に解けました!」
「それはよかった。で、何を悟ったのかな?」
指月は得意げに答えた。
「“白芷”って名前の通り、白く清らかな“水湿”を――扇子を煽いで風に連れ去ってもさうように――身体の中から発散させる薬なんです! だから、湿が内に溜まって害をなすのを止めるんですね!」
祖父はうんうんと深くうなずいた。
その瞳には、珠を貫く糸を見つけた指月に対する、静かな喜びが宿っていた。
「では、なぜ白芷が“清らかで稀薄な水”を風で乾かすことができるのか、その根拠は何かな?」
指月はすぐに答えた。
「白芷は芳香をもつ“風薬”です。風は湿に勝つ性質を持っています。だから“風薬”には湿を乾かす作用、すなわち“燥湿”の力があるんです。白芷の最も重要な作用は二つ。ひとつは『祛風散寒・解表止痛』、もうひとつは『燥湿止帯・消腫排膿』。けれど、これらは実は同じ理屈に集約されます――“風が水を乾かす”という理屈です。白芷は臓腑や経絡の中に滞った水湿を吹き飛ばして、気機の流れを正常に戻し、病を癒していくんです」
「では、古籍に書かれている白芷のさまざまな効能を、この“糸”でどうやって貫いて説明するつもりかな?」
指月はにっこり笑って言った。
「それは簡単です。たとえば――鼻づまりと、鼻水が止まらない症状、これは水湿が鼻に溜まっている状態です。白芷は芳香をもって鼻の気を開き、そこにこもった水湿を風の力で吹き飛ばします。だから、風寒感冒による鼻づまりや流涕に効果があるんです。」
祖父はさらに尋ねた。
「それでは、前額の頭痛についてはどうだろう?」
指月は即座に答えた。
「頭のてっぺん――巓頂(てんちょう)に達するのは、風薬だけです。風は“陽”の邪、そして“頭”は“諸陽の会”であるため、陽の気が集まっています。白芷はとりわけ陽明胃経と大腸経に入る性質があるので、顔面や前額といった陽明の領域に働きかけることができます。だから、額や眉骨のあたりが痛むとき、白芷のような風薬を使えば、一度の発汗で痛みがすっと解けるのです」
祖父はさらに尋ねた。
「それでは、歯の痛みはどうかな?」
「歯茎もまた、陽明胃経の支配下にあります。歯茎が腫れて痛む場合、もし“寒が火を包む”ようなタイプ――つまり、辛い焼き物を食べたうえに、さらに冷たい飲み物をとった場合など――には、白芷を用いて外から陽明経の寒邪を散らし、大黄を用いて内から臓腑の積熱を清めれば、歯の痛みは治まります」
祖父はさらに尋ねた。
「では、婦人の“白帯”――つまり、透明でさらさらしたおりものが多いという症状はどう説明する?」
指月はにっこり笑って言った。
「これはもっと簡単です。白帯というのは、まさに“白い水が下に流れる”状態です。つまり、白水の下注です。だから、それを止めるには風薬を使えばいい。白帯が多くて清く薄いのは、下焦に水湿が滞り、上に持ち上げられないからです。でも風は水を乾かすことができます。白芷は“陽を昇らせ、湿を除く”力を持っているので、下焦の白水も風の力で乾かしてしまうのです」
祖父はさらに尋ねた。
「では、皮膚にできる様々な瘡瘍――たとえば膿を持つものや、汁を流すもの、それに『仙方活命飲』のように“瘡瘍初起”の第一方剤になぜ白芷が使われるのか、わかるかな?」
「それも、簡単です。瘡瘍は膿や汁が外へ流れ出てくるものです。膿も汁もまた“水”の一種です。だから、これも“風”の力で乾かすことができる。風が吹けば湿が消える。湿が消えれば、気血が正常に巡ります。だからこそ古籍では『白芷は腫れを消し、痛みを止め、湿を乾かし、膿を排す』と書かれているんです。すべて同じ原理なんです」
祖父はさらに尋ねた。
「『神農本草経』にこうある――白芷は“風に当たると涙が出る症状”を治す、と。これはどういう理屈かな?」
指月は声を上げて笑いながら答えた。
「これも、もっと簡単な話ですよ。お年寄りの中には、体が寒湿に傾いていて、ちょっと風が吹くだけで目から涙が出てしまう人がいます。これは風邪が“疏泄”に長けているからで、風が目に当たると、内部にこもっていた水が涙となって出てくるんです。つまり、この現象も“白水外溢”と見なせるわけです。ですから、この涙を止めるには――白芷を使って“もう一つの風”を起こし、風の力で身体の水湿を乾かしてしまえばいいんです」
祖父がどの角度から問いを投げても、指月は必ず白芷の「祛風燥湿」という糸からその答えを導き出した。
そうして質問を重ねるたびに、指月の理解はどんどん深まり、枝葉が茂っていった。
まるで珠玉を貫く一本の糸を握っているかのように――ひとつ珠を通すたびに、その連なりはより美しく、より輝きを増していった。
そして、今や指月が『中薬大辞典』に記された白芷の記述を読み返せば、そこに滞りはなく、自在に理解できるようになっていた。
どれだけ読んでも理解でき、どれだけ読んでも詰まることがない。
すべて生きた知識となっていた。
指月はノートにこう書き記した。
珠はどれも美しい。
だが、一本の糸で貫かれなければ、手に取って使える念珠にはならない。
知識もまた然り。
いくら多くを学んでも、それがバラバラのままでは、生きた学びとして役立てることはできない。
一つの筋をもって貫くこと――それこそが、学んだものを自在に使いこなす鍵である。
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