祖父と孫の中医学物語 第三十九話 都梁丸と白芷の美容効果

中医学物語

ある婦人が、頭痛に加え、顔にたくさんのシミができて困っていると相談に来た。

「ここ二ヶ月、よく頭が痛むんです。それに顔のシミもひどくなってきて……どうしたらいいでしょうか?」

祖父は顔をひと目見ると、指月に尋ねた。

「指月、もし頭痛に一味だけ使うとしたら、何を選ぶ?」

「川芎ですね。頭痛には川芎は欠かせません」

「では、頭痛に効くだけでなく、顔のシミにも効くものを選ぶとしたら、何を選ぶ?」

指月は考えたが、答えが出なかった。

祖父は、指月の考えが進むようにサポートする。

「彼女の頭痛、どの辺りが一番痛いと思う?」

指月が婦人に尋ねると、「この眉のあたりがひどいんです。一度痛み出すと、なかなか治まりません」と答えた。

それを聞いた指月の顔がぱっと明るくなった。

「ああ、分かりました! 頭痛を治して、しかも美顔の効もある薬……それは白芷ですね!」

「でも、祖父はどうして眉の辺りが痛いって分かったんですか? まさか脈を診て分かったんですか?」

祖父は、「当然」、と言わんばかりに微笑んだ。

「お前は気づかなかったようだが、彼女が門をくぐったとき、ほんの一瞬、眉間に皺を寄せて眉弓のあたりを指で揉んでいた。何気ない仕草を見逃さずに、そこから内証を察するのが医の眼だ。どの経絡に問題があるかを外から見て取れるかどうかが、頭痛診察の要なんだよ」

それを聞いた指月は、顔を赤らめてうつむいた。

患者と面と向かっていたにもかかわらず、自分は何も気づかなかった。

離れたところから見ていた祖父が見抜いていたのに、と悔しさがこみ上げた。

そのとき、指月は白芷だけを処方箋に書き、さらに他の薬味を書き加えようと祖父の指示を待っていた。

だが、祖父は首を振った。

「もう十分だよ。単味の白芷だけで、眉弓の痛みには効果がある」

指月は処方箋を夫人に渡した。

――それから一月が経ったある日。

あの婦人が、今度は親戚を連れてやってきた。

指月は彼女の顔を見るなり、思わず目を丸くした。

「あれ? 顔のシミが……」

婦人はにこにこと笑って答えた。

「先生のお薬をいただいて、頭痛は飲んだその日にすっかり消えました。それからもずっと痛くなりません。それでシミのほうですが……。先生が教えてくださった通り、白芷を粉にして酢で溶き、顔に塗ってたんです。飲み薬と合わせて七、八日ほど試したら、あの暗いシミがどんどん薄くなって、今ではほとんど消えてしまいました。親戚がその様子を見て、自分も美容の相談をしたいと言いだして。だから今日は一緒に来たんです」

なぜ白芷に美容効果があるのか、そしてなぜ眉弓の痛みに効くのか。

祖父は指月に『神農本草経』を開かせ、白芷の項目を読ませた。

そこには、白芷には「肌肉を増し、潤沢を与える」との記述があった。

肌肉を主るのは何か?

脾胃である。

白芷はとりわけ陽明胃経に入るのが得意な薬だ。

そこで祖父は、指月に鍼灸用の銅人形を持ってこさせ、陽明胃経の経絡の流れを復習させた。

指月はその銅人形の経絡に沿って、陽明胃経の流れを指でなぞっていく。

額のあたりから始まり、顔面、胸腹部を通って、やがて脚を下り、つま先に至る。

指月は経絡の流れを一通り背誦し終えると、ぱんっと手で額を叩いた。

「分かりました! 陽明胃経は顔の前面をぐるりと巡っているんですね。だから、この経絡に滞りがあれば、顔色がくすんでしまうんです。祖父は以前こう言ってましたよね。『顔色が黒い者は、必ず便秘している』って。つまり、顔に暗いシミがずっと残るのは、胃腸の通降機能が悪いことと切り離せないんですね」

祖父は満足げにうなずいた。

「まだ何か気づいたことはあるか?」

指月は続けた。

「陽明は肌肉を主る――だから爷爷の美白散では、白芷が主薬になっていたんですね。なるほど、古人が『白芷は眉弓の痛みに最もよく効く』と言っていたのも、全部つながってきました!」

老先生は指月を見つめていた。

そのまなざしには、教えをしっかり自分のものにしていく弟子への、静かな喜びがにじんでいた。

祖父は、白芷が眉弓の痛みに効くということについて、ある故事を語り始めた。

それは「都梁丸」の由来にまつわる一節であった――


時は宋代、漢陽の史氏・王琴という者がおり、彼は民間の経験方を広く収集して《百一選方》という医書を著した。

その中に「香白芷」一味を挙げ、蜜で練って丸とし、「都梁丸」と名づけた。この方は婦人の月経痛によく効くとして伝わっている。

「都梁丸」の由来には、こんな言い伝えが残されている。

西暦960年、宋の太祖・趙匡胤(ちょうきょういん)が汴梁(べんりょう:北宋の首都であった開封「現在の河南省開封市」の別称)に都を定め、天下が太平に向かい始めたころのこと。

南方に一人の富商がいた。

彼には一人娘があり、年は十八。

だが、その娘は月経がくるたびに下腹を激しく痛め、ときに気を失って意識を失うほどだった。

家の財を投じて地元の名医を訪ね歩いたが、効果は思わしくなく、病は日に日に深まり、娘の顔色は青ざめ、身体は痩せ細り、精神も衰えきっていた。

父親である富商は、食事ものどを通らず、夜も眠れぬ日々を過ごしていた。

ついには娘を連れて召使いとともに、汴梁に名医を求めて急ぎ旅立った。

ようやく汴梁に辿り着いたその日、ちょうど月経が始まってしまった。

娘は道端で苦悶のあまり地に倒れ、痛みに呻き声を上げるほどであった。

そのとき、たまたま一人の採薬老人が通りかかった。

事情を聞いた老人は、即座に薬籠から香り高い白芷の束を取り出し、「これは風寒による腹痛に効く」と言って富商に手渡した。

そして、「これを熱湯でよく洗い、煎じて服ませなさい」と一言だけ残して立ち去った。

富商は半信半疑だったが、他に手立てもなく、娘の苦しみように見かねて言われたとおりに煎じた。

すると、一煎目で痛みが和らぎ、二煎目で痛みは止み、数日服用したのちには、次の月経も何事もなく過ごせたという。

富商は歓喜し、あの老人を探し出して重く礼をした。

この出来事がきっかけで、白芷は婦人の腹痛薬として庶民に広く知られるようになった。

のちに人々はこの白芷を熱湯で何度も洗い、乾かして粉末にし、蜜で練って小さな丸薬にした。

丸の大きさは弾子(鉄砲の弾)ほど。

この「香白芷」が都の汴梁で得られたことから、「都梁丸」と名付けられたのである。

その後、白芷の効能は「痛みを止める」だけでなく、「美しさを養う薬」としても、知られるようになった。


指月はこうした医薬の物語を聞くのが何よりも好きだった。

なぜなら、それは面白く、しかも確実に知識が身につくからだ。

だが、ただ物語に耳を傾けているだけではない。

指月は必ず、その中の要点をノートに書き留めていた。

――なぜ白芷は、眉棱骨(びれいこつ)の痛みに効くのか?
――なぜ顔の黒ずみやシミにも効くのか?

そして、最後に指月は『本草求真』の中にある一節を書き足した。


白芷は温にしてその力は厚く、竅を通じて表を巡り、足の陽明胃経に属する、風を祛い湿を散ずる要薬である。

ゆえに陽明経が支配するすべての頭面の病に効く。

たとえば頭目昏痛、眉弓痛、歯ぐき痛み、顔の黒ずみや瘢痕などである。


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