ある婦人が、頭痛に加え、顔にたくさんのシミができて困っていると相談に来た。
「ここ二ヶ月、よく頭が痛むんです。それに顔のシミもひどくなってきて……どうしたらいいでしょうか?」
祖父は顔をひと目見ると、指月に尋ねた。
「指月、もし頭痛に一味だけ使うとしたら、何を選ぶ?」
「川芎ですね。頭痛には川芎は欠かせません」
「では、頭痛に効くだけでなく、顔のシミにも効くものを選ぶとしたら、何を選ぶ?」
指月は考えたが、答えが出なかった。
祖父は、指月の考えが進むようにサポートする。
「彼女の頭痛、どの辺りが一番痛いと思う?」
指月が婦人に尋ねると、「この眉のあたりがひどいんです。一度痛み出すと、なかなか治まりません」と答えた。
それを聞いた指月の顔がぱっと明るくなった。
「ああ、分かりました! 頭痛を治して、しかも美顔の効もある薬……それは白芷ですね!」
「でも、祖父はどうして眉の辺りが痛いって分かったんですか? まさか脈を診て分かったんですか?」
祖父は、「当然」、と言わんばかりに微笑んだ。
「お前は気づかなかったようだが、彼女が門をくぐったとき、ほんの一瞬、眉間に皺を寄せて眉弓のあたりを指で揉んでいた。何気ない仕草を見逃さずに、そこから内証を察するのが医の眼だ。どの経絡に問題があるかを外から見て取れるかどうかが、頭痛診察の要なんだよ」
それを聞いた指月は、顔を赤らめてうつむいた。
患者と面と向かっていたにもかかわらず、自分は何も気づかなかった。
離れたところから見ていた祖父が見抜いていたのに、と悔しさがこみ上げた。
そのとき、指月は白芷だけを処方箋に書き、さらに他の薬味を書き加えようと祖父の指示を待っていた。
だが、祖父は首を振った。
「もう十分だよ。単味の白芷だけで、眉弓の痛みには効果がある」
指月は処方箋を夫人に渡した。
――それから一月が経ったある日。
あの婦人が、今度は親戚を連れてやってきた。
指月は彼女の顔を見るなり、思わず目を丸くした。
「あれ? 顔のシミが……」
婦人はにこにこと笑って答えた。
「先生のお薬をいただいて、頭痛は飲んだその日にすっかり消えました。それからもずっと痛くなりません。それでシミのほうですが……。先生が教えてくださった通り、白芷を粉にして酢で溶き、顔に塗ってたんです。飲み薬と合わせて七、八日ほど試したら、あの暗いシミがどんどん薄くなって、今ではほとんど消えてしまいました。親戚がその様子を見て、自分も美容の相談をしたいと言いだして。だから今日は一緒に来たんです」
なぜ白芷に美容効果があるのか、そしてなぜ眉弓の痛みに効くのか。
祖父は指月に『神農本草経』を開かせ、白芷の項目を読ませた。
そこには、白芷には「肌肉を増し、潤沢を与える」との記述があった。
肌肉を主るのは何か?
脾胃である。
白芷はとりわけ陽明胃経に入るのが得意な薬だ。
そこで祖父は、指月に鍼灸用の銅人形を持ってこさせ、陽明胃経の経絡の流れを復習させた。
指月はその銅人形の経絡に沿って、陽明胃経の流れを指でなぞっていく。
額のあたりから始まり、顔面、胸腹部を通って、やがて脚を下り、つま先に至る。
指月は経絡の流れを一通り背誦し終えると、ぱんっと手で額を叩いた。
「分かりました! 陽明胃経は顔の前面をぐるりと巡っているんですね。だから、この経絡に滞りがあれば、顔色がくすんでしまうんです。祖父は以前こう言ってましたよね。『顔色が黒い者は、必ず便秘している』って。つまり、顔に暗いシミがずっと残るのは、胃腸の通降機能が悪いことと切り離せないんですね」
祖父は満足げにうなずいた。
「まだ何か気づいたことはあるか?」
指月は続けた。
「陽明は肌肉を主る――だから爷爷の美白散では、白芷が主薬になっていたんですね。なるほど、古人が『白芷は眉弓の痛みに最もよく効く』と言っていたのも、全部つながってきました!」
老先生は指月を見つめていた。
そのまなざしには、教えをしっかり自分のものにしていく弟子への、静かな喜びがにじんでいた。
祖父は、白芷が眉弓の痛みに効くということについて、ある故事を語り始めた。
それは「都梁丸」の由来にまつわる一節であった――
時は宋代、漢陽の史氏・王琴という者がおり、彼は民間の経験方を広く収集して《百一選方》という医書を著した。
その中に「香白芷」一味を挙げ、蜜で練って丸とし、「都梁丸」と名づけた。この方は婦人の月経痛によく効くとして伝わっている。
「都梁丸」の由来には、こんな言い伝えが残されている。
西暦960年、宋の太祖・趙匡胤(ちょうきょういん)が汴梁(べんりょう:北宋の首都であった開封「現在の河南省開封市」の別称)に都を定め、天下が太平に向かい始めたころのこと。
南方に一人の富商がいた。
彼には一人娘があり、年は十八。
だが、その娘は月経がくるたびに下腹を激しく痛め、ときに気を失って意識を失うほどだった。
家の財を投じて地元の名医を訪ね歩いたが、効果は思わしくなく、病は日に日に深まり、娘の顔色は青ざめ、身体は痩せ細り、精神も衰えきっていた。
父親である富商は、食事ものどを通らず、夜も眠れぬ日々を過ごしていた。
ついには娘を連れて召使いとともに、汴梁に名医を求めて急ぎ旅立った。
ようやく汴梁に辿り着いたその日、ちょうど月経が始まってしまった。
娘は道端で苦悶のあまり地に倒れ、痛みに呻き声を上げるほどであった。
そのとき、たまたま一人の採薬老人が通りかかった。
事情を聞いた老人は、即座に薬籠から香り高い白芷の束を取り出し、「これは風寒による腹痛に効く」と言って富商に手渡した。
そして、「これを熱湯でよく洗い、煎じて服ませなさい」と一言だけ残して立ち去った。
富商は半信半疑だったが、他に手立てもなく、娘の苦しみように見かねて言われたとおりに煎じた。
すると、一煎目で痛みが和らぎ、二煎目で痛みは止み、数日服用したのちには、次の月経も何事もなく過ごせたという。
富商は歓喜し、あの老人を探し出して重く礼をした。
この出来事がきっかけで、白芷は婦人の腹痛薬として庶民に広く知られるようになった。
のちに人々はこの白芷を熱湯で何度も洗い、乾かして粉末にし、蜜で練って小さな丸薬にした。
丸の大きさは弾子(鉄砲の弾)ほど。
この「香白芷」が都の汴梁で得られたことから、「都梁丸」と名付けられたのである。
その後、白芷の効能は「痛みを止める」だけでなく、「美しさを養う薬」としても、知られるようになった。
指月はこうした医薬の物語を聞くのが何よりも好きだった。
なぜなら、それは面白く、しかも確実に知識が身につくからだ。
だが、ただ物語に耳を傾けているだけではない。
指月は必ず、その中の要点をノートに書き留めていた。
――なぜ白芷は、眉棱骨(びれいこつ)の痛みに効くのか?
――なぜ顔の黒ずみやシミにも効くのか?
そして、最後に指月は『本草求真』の中にある一節を書き足した。
白芷は温にしてその力は厚く、竅を通じて表を巡り、足の陽明胃経に属する、風を祛い湿を散ずる要薬である。
ゆえに陽明経が支配するすべての頭面の病に効く。
たとえば頭目昏痛、眉弓痛、歯ぐき痛み、顔の黒ずみや瘢痕などである。
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