【中薬を故事で学ぶ】 辛夷の故事 〜名前の由来は「十干」と「族名」?〜

中薬の故事

昔、中国秦国に、科挙の郷試に合格した一人の挙人がいました。

科挙の郷試と挙人:郷試は科挙の試験段階の一つ。宋代の科挙は解試、省試、殿試の三段階に分かれたが、その解試の元代以後の名称。 各省ごとに三年に一度試験が行なわれ、合格者を挙人という。

ある日、挙人が奇妙な病に罹りました。

鼻からは絶え間なく膿と鼻水が流れ、生臭い臭いも漂っていたため、人々は彼を避けました。

とうとう最愛の家族でさえも彼から距離を置くようになってしまいました。

多くの医者に診てもらい、様々な薬を試しましたが、一向に病は良くならず、挙人は深い絶望に陥りました。

「このまま生きるよりも、死んだ方がましではないか」

彼は自ら命を絶とうと思い始めました。

そんな彼に、心配した友人が声をかけました。

「天下は広い。地元の医者に治せないなら、他の地を訪れるのも一つの道だ。それに名山大川を巡る旅は心の休息にもなるだろう」

この言葉に希望を見出した挙人は、馬に乗り、新たな医者を探す旅に出ました。

彼は数多くの地を訪れましたが、どこにも彼の病を治せる医者はおらず、医者探しは困難を極めました。

しかし、彼は諦めずに南方へと足を伸ばしました。

そして、夷族が住む地域に辿り着いたのです。

「この病気は治せる」

出会った夷族の医者が治療を引き受けてくれました。 

挙人は涙を流し喜び、医者に治療をお願いしました。

医者は、山へ行ってある花のつぼみを摘んできて、挙人に服用させました。

その薬草を半月間服用し続けたところ、不思議と鼻から膿が出なくなり、その他の病状もみるみるうちに改善しました。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

病が治り喜びに満ち溢れた挙人は、何度も何度も医者に感謝の言葉を伝えました。

「この薬があれば、再び病に苦しむこともなく、遠い旅をする必要もなくなるのに」

挙人がそうつぶやくと、医者は挙人に薬草の種をいくつか渡しました。

「これを持ち帰って植えてみるのはどうだろう?」

彼は医者の提案を受け入れました。

(これで同じ苦しみを持つ人が救われる)

種を持ち帰ると、自分の家の庭に植え大事に育て始めました。

数年の月日が流れ、彼の庭にはたくさんの薬草が育ち、見事な薬草園となりました。

この薬草は鼻の病に苦しむ人々を治療するのに大変効果が高く、周辺の地域からも多くの患者が彼の元を訪れました。

そんなある日、ひとりの患者が尋ねてきました。

「この薬草はすばらしいですね! この薬草は何という名前ですか?」

挙人は夷族の医者に薬草の名前を聞いていなかったことに気付きました。

そこで、この薬草の種を「辛亥年」に「夷族」から譲り受けたことから、こう答えました。

「これは『辛夷』です」

おしまい


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