むかしむかし、華佗(かだ)という名医がいました。
彼は薬草の誤用を防ぐため、自宅のまわりにさまざまな薬草を植え、それを生きた標本として観察していました。
どの草がどの病に効くのか、自ら試して記録する毎日でした。
ある日、遠方の商人が華佗のもとを訪れ、山で掘り出した一株の芍花(しゃくか)を手渡しました。
「この草には病を癒す力があると噂されていますが、確かではありません。名医であるあなたに託します。真偽を見極めてください」
華佗はその芍花を庭の片隅、窓の外に植えました。
翌春、芍花は花を咲かせました。華佗は花びらを摘み、葉を噛み、茎を煎じてもみましたが、特に薬効は感じられませんでした。
「何の変哲もない草だな……」と、彼は芍花に興味を失い、そのまま放置してしまいました。
それから数年が過ぎました。
ある秋の夜、華佗は灯火の下で医学書を書いていました。
すると、どこからともなく、女の泣き声が聞こえてきました。
窓を開けて外を覗くと、月明かりの中に、赤い花を頭に飾り、緑の衣をまとった美しい女が立っていました。
「この夜更けに、なぜ泣いている……?」
そう声をかけて外に出たときには、女の姿はすでに消えていました。
彼女が立っていた場所を見ると――そこにはあの芍花が咲いていました。
「……まさか、芍花が化けたのか?」
そうつぶやきながらも、華佗は首を振りました。
「いや、薬効もない草だ。今は秋、花は散り、葉も枯れかけている。何に使えるというのだ……」
そう言って部屋に戻ると、再び、女のすすり泣く声。
外を見ると、またもやあの女の姿がありました。何度も、同じことが繰り返されました。
華佗はついに妻を起こし、この不思議な出来事を語りました。
妻は静かに聞き、こう言いました。
「あなたが育てた草花は、どれも病を癒し、人々の役に立ってきました。でも……この芍花だけは、あなたに見向きもされず、寂しく咲いているのです。もしかしたら、芍花はそのことに傷ついて、泣いているのではないでしょうか。」
華佗は眉をひそめました。
「花も葉も茎も、試したが何の効き目もなかった。どうして薬になるというのだ?」
「……根は、試しましたか?」
「花にも葉にも茎にも薬効がないのに、どうして根だけにあるというのだ?」
華佗は少し苛立ったように言いました。
妻はそれ以上は語らず、「遅いから、もうお休みなさい」とだけ言って、そっと華佗を寝かせました。
翌朝――。
妻はいつものように朝食の支度をしていましたが、うっかり包丁で指を切ってしまいました。
血が止まらず、思わず華佗を呼びました。
「あなた、血が止まりません……」
華佗は急いで手当てをしようとしましたが、どんな薬も効果がなく、焦るばかり。
そのとき、妻がふとつぶやきました。
「芍花の根……試してみては?」
華佗はすぐに外に出て、芍花の根を少し掘り起こし、それをすり潰して妻の傷に塗りました。
すると――血がぴたりと止まったのです。
数日後には、傷はすっかり癒え、痕も残りませんでした。
「……妻よ。そなたのおかげで、この草の本当の価値を知ることができた。そなたがいなければ、私は大切な薬草を見落としたままだった……」
その後、華佗は芍花の根を詳しく調べ、止血、活血、鎮痛、滋養、そして婦人科の調整にも効果があることを突き止めました。
この草は「芍薬花(しゃくやくか)」と名付けられ、華佗の著書『青囊経(せいのうけい)』に記されることとなりました。
彼が栽培を進めた芍薬は、譙陵(現在の安徽省・亳州)で広く栽培されるようになり、その後、四川や杭州、陝西などの地にも伝わりました。
なかでも譙陵産の芍薬は、白く、根は大きく、質の良い粉を含んでいたことから、特に「白芍(びゃくしゃく)」と呼ばれ、上品な薬として重宝されるようになりました。
こうして、芍花はもう泣くことなく、静かに人々の命を守る薬草として咲き続けているのです。
おしまい
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