むかし、石羊場に李富安という名の農夫が住んでいました。
彼には「多くの子宝に恵まれたい」という願いがあり、妻もまた聡明で働き者でした。
すでに七人の娘に恵まれていましたが、なおも新たな命を望んでいました。
そして、李富安が四十八歳になった年の盛夏、八番目の子が生まれました。
娘は半夏(はんげ)と名付けられ、家族はその名を愛して呼びました。
半夏は生まれつき身体が小さく、やさしい気性の持ち主で、十歳になっても背は低く、言葉も慎ましやかでした。
家族は多く、土地は少なく、生活は困窮していました。
そこで李富安は、半夏を相蓋山の寺に預け、仏門に入らせることにしました。
寺では半夏は修行に励みましたが、どれほど苦行を積んでも、仙人にも仏にもなれず、心は次第に揺らいでいきました。
ある夜、夢の中に仏陀が現れ、こう語りかけました。
「修行とは慈悲をもって人の苦を救うことにある。
ただ座して念じるばかりでは、世の苦しみを取り除くことはできぬ。
今こそ、その身で世を癒すのだ。」
この啓示を受けた半夏は、修行の道を見つめ直し、普州の街に薬屋を開きました。
店先には「起死回生」と書かれた看板が掲げられ、貧しい者にも惜しまず薬を分け与え、誰のためにも病を癒しました。
しかし、若く美しい娘が薬屋に立っていると、男たちは病を相談するのを恥じらい、なかなか訪ねようとはしませんでした。
その一方で、ある貧しい老女が店を訪れました。
「病を治す金はありませんが、助けていただけるなら一生お仕えします……」
老女の手をそっと取った半夏は、穏やかな微笑を浮かべて言いました。
「料金はいりません。あなたの病は必ず治ります。」
処方した薬を丁寧に包み、「煎じて飲めば、きっと良くなります」と言い添えました。
老女は薬を持ち帰り、言われた通りに煎じて飲みました。
翌朝には身体が軽く、正午にはまるで病などなかったかのようでした。
老女は人々に語り広めました。
「普州に若き神医がいる。長年の病を一服で癒してくれた!」
噂は一人から十人へ、十人から百人へと広まり、半夏の名声は瞬く間に普州全体に知れ渡りました。
病を持つ者は彼女のもとを訪れ、彼女は昼夜を問わず家々を巡って治療に奔走しました。
ある日、彼女が故郷・石羊場に戻った折、五十六人の病人が一斉に押しかけました。
半夏は五十六通りの処方を作り、薬を包み、疲労困憊で腰が曲がってしまうほどでした。
そのとき――一人の若い男が現れ、こう告げました。
「私は天界の六甲神。
あなたが人々の命を救い続けた功徳は満ちました。
玉帝の命により、明朝、相蓋山の華厳洞にて、あなたを天界に迎えます。
名は『半夏仙』と定められましょう。」
男は蓮の花に乗り、祥雲の中へと消えていきました。
半夏は喜び、腰も自然とまっすぐになりました。
ようやく得た、長年の悲願――仙となる日が訪れたのです。
翌朝、身支度を整え、華厳洞へ向かおうとしたその時、激しい戸を叩く音がしました。
戸を開けると、青ざめた男が、瀕死の子を抱えて立っていました。
「この子を……どうか助けてください……」
半夏は脈を取り、容態を見て絶句しました。
急いで薬を調合し、煎じて子に飲ませましたが、効果はすぐに現れません。
「……私には、今すぐ向かわねばならぬ用があります。戻ったら続きを……」
そう言いかけたとき、男は涙を流しながら跪きました。
「この子は私たち夫婦のたった一人の命なのです。どうか……どうか見捨てないでください……!」
その言葉の直後、子どもは口から泡を吹き、白目をむきました。
半夏は急ぎ手を尽くしました。
心はすでに、仙界のことなど忘れていました。
子どもが意識を取り戻したとき――
陽はすでに高く、華厳洞の天界召集は終わっていたのです。
それでも、半夏は洞窟まで足を運びました。
しかし、そこには誰の姿もなく、ただ風が静かに吹いているだけでした。
その日から、半夏は仙となる夢を捨て、ただひたすらに病を癒す医者として生きる道を選びました。
やがて彼女は疲れ果て、ついに病に倒れました。
人々はその死を悼み、町の中央に彼女を葬りました。
ところが――
しばらくすると、墓の周囲に小さな緑の苗が芽吹き始めました。
やがてその下から、数珠のような白い塊が土中から現れました。
人々がそれを病人に与えると、不思議なほどよく効きました。
特に咳・嘔吐・胃の不調に著しい効果を発揮したのです。
村人たちは、「これは半夏医師の魂が草となったのだ」と信じ、その名を取って、この薬草を『半夏』と呼ぶようになりました。
そして、普州には彼女をたたえる座像が華厳洞の左壁に刻まれたのです。
おしまい
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