とある伝説によると、明代の大医学者である李時珍(りじちん)が《本草綱目》を出版するために南京を訪れ、ある宿屋に宿泊したそうです。
夜、隣部屋から女性のうめき声が聞こえたので、李時珍は店の店主に「隣の部屋の人はどうしたのか?」と尋ねました。
店主は「妻が病気で、もう何日も経つんです」と答えました。
「なぜ医者に診てもらわないのか?」と李時珍は不思議に思いました。
店主は「先生、私たちはここで店を開いていますが、稼ぎは家族7人の生活費に足りません…」と言いました。
李時珍は同情し、店主に連れられて奥の部屋に入りました。
彼は店主の妻の脈を取りながら「最近の彼女の食事はどうですか?」と尋ねました。
「もう何日も米がなく、彼女は干したサツマイモしか食べていません。私たちは子供が掘ってきた野草の根で飢えをしのいでいます」
李時珍はかごの野草の根を拾い上げて詳しく見た後、一株を口に入れました。
「これは薬草ですね。これであなたの妻の病気を治すことができます。どこでこれを採ったのですか?」
「街の外、紫金山です!」
李時珍は机の上に銀塊を置くと「明日、米を買って食べさせてください。その前に、この薬を煎じて妻に飲ませてください。飲めば良くなるでしょう」と言いました。
店主は感謝の意を表して、李時珍に何度もお辞儀をしました。
店主の妻は数日間薬を飲んだところ、本当に病気が治りました。
店主は李時珍を紫金山の朱元璋(しゅげんしょう)の太子の墓地に連れて行きました。
そこには緑色の薬草が絨毯のように広がっていました。
「素晴らしい! 素晴らしい!」と、李時珍は興奮した様子で何度も言いました。
それは、まるで宝物を手に入れたような様子でした。
この薬草が、朱元璋の太子の墓地の周囲に生えていたため、李時珍はそれを「太子参」と名付けました。
※朱元璋は明の初代皇帝で、朱元璋の太子(長男)は朱標。
おしまい
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