昔々、「劉寄奴(りゅうきど)」という名の少年がおりました。
彼はのちに宋の初代皇帝・宋武帝劉裕(りゅうゆう)となる人物です。
ではなぜ、彼の幼名が中薬の名前として今に残っているのでしょうか?
これは、彼がまだ少年だったころの不思議な出来事に由来すると伝えられています。
ある日、寄奴は山へ薪を切りに出かけました。
すると、草むらの中から、にゅるりと現れたのは、体をくねらせる巨大な蛇。
寄奴は一瞬もひるまず、弓を引き絞って矢を放ち、蛇の頭を射抜きました。
傷を負った蛇は、もがきながらもその場を逃げ去りました。
翌日、寄奴は再び山に登り、ふと遠くから何やら薬をすりつぶすような音を耳にしました。
不思議に思って音のする方へ進むと、草むらの中で、青い衣をまとった数人の童子たちが、石臼で薬草をすりつぶしている光景に出くわしました。
寄奴が近づき、声をかけました。
「あなたたちは、誰のために薬を調えているのです? いったいどんな病を治すための薬なのですか?」
すると童子たちは、顔を見合わせながらこう答えました。
「私たちの王が、寄奴という者に矢で射られたのです。その傷を癒すために、こうして薬を作っているのです」
これを聞いた寄奴は、眉を上げ、堂々と言いました。
「その寄奴とは、この私のことだ。お前たちを捕らえに来た!」
童子たちは驚き、薬をその場に捨てると、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていきました。
寄奴は残された薬草と石臼に残った薬を持ち帰り、人々の治療に役立てました。やがて彼が軍を率いる身となったとき、戦で矢傷を負った兵士たちにこの薬を塗ると、たちまち傷が癒え、その効果は驚くほどでした。
兵たちはこの薬を「仙薬」だと噂しましたが、誰もその正体を知りませんでした。
ただ、寄奴がかつて蛇との不思議な縁で得た薬であることだけが語り継がれたのです。
それゆえ、人々はこの薬草を「劉寄奴」と呼ぶようになりました。
これは、中国の中薬の中でも、皇帝の名がそのまま付けられた唯一の例とされています。
劉寄奴という名の薬は、今日まで長く伝えられ、民間でも大切にされています。
おしまい
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