ある嵐の午後のこと。名医・李時珍(り・じちん)は薬草採集を終えた帰り道、突如吹き荒れた風雨を避けて、小さな船に身を寄せました。
その船には、老漁師と、まだ十歳にも満たない二人の孫が乗っていました。
彼らは濡れた李時珍を温かく迎え入れ、老漁師は簡素ながらも心尽くしの食事を用意してくれました。
李時珍もまた、鞄の奥から一本の酒を取り出し、三人とともにそれを分け合いました。
しばし語らううちに、老漁師は李時珍がただ者ではないと気づき、自分の知る薬草の知識を余すことなく語りはじめました。
最後に、ふと思い出したようにこう言いました。
「先生、このあたりには、身体のかゆみや癬瘡(せんそう)によく効く草薬があるのですよ」
李時珍の目が輝きました。
「それはどこに生えているのです? どんな形をしていますか?」
老漁師はにこりと笑い、ゆっくりと言いました。
「それは水の上に生えていて、我々のすぐそばにあります」
そして、詩を読むように語りました。
「天生の霊芝は根がなく、山間や岸辺にはない。飛絮(ひじょ)は東風に追われて舞い始め、その根は青々と水に浮かぶ」
すると、孫のひとりがまるで童謡を歌うように口ずさみました。
「根はあっても砂はなく、葉があっても花は咲かない。風に乗って漂うのが好き、川や海は家なのだ」
もうひとりの孫も楽しそうに続けました。
「根があっても地に着かず、葉があっても花は咲かない。一日中風に漂い、四海(しかい)はわが家なのだ」
李時珍は驚き、目を見開きました。
「これは謎かけですね。三つの詩、すべて同じものを指している……」
彼はしばらく考え、やがて顔を上げて船の外を見ました。
風と雨のなか、水面にゆらゆらと浮かぶ小さな草を指さして叫びました。
「あれです!」
老漁師と孫たちは身を乗り出して聞きました。
「それは……何ですか?」
李時珍は力強く答えました。
「あれは『浮萍(ふへい)』です」
老漁師はにっこりと微笑み、頷きました。
「まさしく、そのとおりです。浮萍は確かに、皮膚のかゆみや癬瘡に効く草薬なのです」
李時珍は浮萍を詳しく観察し、後にその性質と効能を『本草綱目』に記し加えました。
この出来事は、李時珍の知識がさらに深まり、草木と人との不思議な縁がもたらしたひとつの小さな奇跡として、今に語り継がれています
おしまい
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