中医学の基盤となった三つの学説
中医学の理論体系を支えている根幹には、三つの重要な哲学的学説があります。
それが、
- 気一元論
- 陰陽学説
- 五行学説
です。
これらは古代中国において、宇宙や自然界の成り立ち、発展、変化の法則を理解し説明するために生まれた世界観であり、中医学理論の土台を形づくった哲学です。
古代思想と中医学の出発点
戦国時代から秦漢時代にかけて、「諸子百家、百家争鳴」といわれる、様々な思想家や学派が互いに議論し、競い合った時代に、中国古代哲学は大きく発展しました。
この時期に形成された気一元論、陰陽学説、五行学説は、単に哲学として語られるだけでなく、天文学、地学、暦学、政治学、経済学、軍事学、農学など、自然科学および社会科学のさまざまな分野に広く浸透していきました。
もちろん、中医学もその影響を深く受けています。
哲学と医学の融合
中医学は、これらの思想体系をベースに、宇宙――すなわち自然界を統一的な視点で捉え、その理解をもとに医学的な知識と臨床経験を融合させていきました。
その結果、人間の生命の発生、人体の構造や機能、疾病の原因と変化のメカニズム、さらには養生・診断・治療における基本原則や規律が、「中医学」という独自の理論として体系化されていったのです
今回の記事では、三つの哲学のうち「気一元論」についてご紹介します。
気一元論
気は、古代中国哲学において最も重要な概念の一つです。
古代の哲学者たちは、「気とは宇宙に遍在する無形で、絶えず運動する極めて微細な物質であり、万物共通の構成要素となる根源である」と考えました。
ここから「気一元論」という思想が形成されていきました。
1.気の哲学的概念と気一元論
気一元論、通称「気論」は、古代中国人が世界の構造とその変化の法則を理解し説明するために生み出した世界観です。
長年にわたる生活実践と自然観察を通じて、「気」という概念は抽象化され、多様な意味を内包する哲学的概念へと成熟していきました。
その結果、宇宙や万物の起源、進化、さらにはさまざまな自然現象を説明する上で、気を根源とする世界観が確立されたのです。
(一) 概念の形成
「気」の文字は、甲骨文の中ですでに登場しています。
『説文解字』には、「気、云(雲)気也、象形」とあります。すなわち「気」は「雲」を指しており、当初は観察可能な自然現象としての「気」を意味していたことがわかります。
古代の人々は、「雲の気」「霧の気」「風の気」「寒暖の気」など自然界の気象現象をはじめ、日常生活における「煙の気」「水蒸気」、さらには人体に関わる「呼吸の気」などを観察・分析し、「気とは自然界に客観的に存在するものであり、あらゆるものに気が宿っている」という認識を徐々に形成していきました。
春秋戦国時代に入ると、「気」は単なる自然現象の記述を超えて、哲学的な概念として深化されていきます。
それは、「気は宇宙空間に偏在する極めて微細な存在であり、形はないが実在する」とする認識でした。
気は形を持たないが、形を生じさせる力を持ち、万物の根源として至る所に存在し、全宇宙を満たしているのです。
『管子・業』には、「其大無外,其小無内(その大きさは外になく、その小ささは内になし)」と記されていて、気が遍在する存在であることが強調されています。
気は、天においては星々を生じ、地においては五穀を育み、天地の精気が合わさって人間を形成するとされます。
すなわち、宇宙のように大きな存在も、塵のように微小な存在も、すべては気から成り立っているのです。

気はさまざまな形式で存在します。
拡散した気は運動状態にあり、宇宙空間に満ちていますが、極めて精微で形がなく、目に見えることはありません。
したがって、これを「無形」といいます。
一方、気が凝集すると、物質として具現化し、形を持つ存在、すなわち「有形」となります。
この点について『素問・六節蔵象論』では、「気合而有形(気が合わさって形を成す)」と述べています。
すなわち、「有形」と「無形」は、気が凝集して形となるか、拡散して形を失うかという状態の違いであり、両者は転化し合う関係にあります。
無形の気が凝集すれば有形の物質となり、有形の物質が消散すれば再び無形の気へと還ります。
このように、自然界においては、「無形の気」と「有形の体」との間で、絶えず転化が繰り返されているのです。

(二) 気の哲学的概念
中国古代哲学における「気」の基本的な考え方は、「気とは、極めて微細な物質であり、万物の根源である」というものです。
気は、古代中国において最も高尚かつ本質的な概念とされてきました。本来は、客観的に存在し、常に運動を伴う物質として理解されていましたが、後にその意味は広がり、あらゆる物質的・精神的な現象を含めて「気」と呼ぶようになります。
人間の身体も精神も、すべて気によって形成されていると考えられていました。
『易伝・系辞上』には「精気為物,游魂為変(精気は物を為し、游魂は変を為す)」とあり、精気が集まって万物が生じ、それが離散すると死を迎え、その魄は土に帰る、という思想が示されています。
道家の代表である荘子も、あらゆる存在が一つの気から変化したものだと考え、「通天下一気耳(天下を通じて一気のみ)」と述べています。
さらに『荘子・知北遊』では、人間の生死さえも気の聚と散によって説明し、「人之生也,気之聚也,聚則為生,散則為死(人の生は気の聚なり。聚まれば生となり、散ずれば死となる)」と記しています。
つまり、気は万物の成り立ちにおける基礎であり、物の存続や生命の根源、そして本質までもが、気の聚散に由来するということです。
儒家の思想においても、気は重要視されていました。たとえば、孟子は「浩然の気」という概念を打ち出し、気が生命力や道徳性と深く結びついていると説いています。ここでいう「浩然」とは、広大で満ちあふれる気の様子を意味します。
また、『素問・気交変大論』には、「善言気者、必彰于物(気の道理をよく語る者は、必ずその現象の背後にある気の運行を明らかにできる)」とあります。これは、気そのものは目には見えにくいものであるにもかかわらず、その結果として現れる物事を通じて、その運動法則を説明できるという意味です。
このように、気は極めて微細であるがゆえに「無形」であるとされますが、だからといって存在しないわけではありません。むしろ、見えないけれど確かに存在し、その運動や変化、そしてそれによって生まれる現象によって、私たちはその存在を認識することができます。
『素問・六節蔵象論』にも「気合而有形,因変以正名(気が合わさって形を成し、変化に応じて正しく名づけられる)」と記されており、これは、気の運動や変化によってさまざまな物質が形成され、それに応じた名称が与えられるということを表しています。
このように、「気」は古代中国において、万物の成り立ちと変化を説明する上で欠かせない核心的な概念として位置づけられていたのです。
(三) 気一元論
『管子』には「精」という言葉が登場します。
精とは、極めて微細な物質であり、「精気」とも呼ばれます。『管子・心術下』には「一気能変曰精(気が変化して精となる)」とあり、『管子・内業』には「精也者、気之精者也(精とは気の精なり)」と記されています。
では、精気とは一体何なのでしょうか。
精または精気とは、「極めて微細で運動変化する気であり、天地の間に満ちていて、自然界の万物を化生する基本物質」です。
この「精気」によって世界を説明しようとする学説を「精気学説」と呼びます。
精気学説における「精(精気)」の概念は、先に述べた「気」と非常によく似ており、ほぼ同じといえるほどです。
実際、この精気学説は、気一元論の初期段階における表現であり、気一元論の雛形となった学説なのです。
精という概念が最初に現れるのは、『老子・第二十一章』であり、「道之為物……窈冥兮,其中有精;其精甚真,其中有信(道の物たるや……窈としてその中に精あり、その精、甚だ真なり、その中に信あり。)」と記されています。
ここでの「道」は気を指しているので、「気は物質であり、精は気の精華である(最もすぐれているもの。)」という意味になります。
ここで重要なのは、精気学説において「精」と「気」は別の存在として捉えられているという点です。
例えるなら、原子の構造を想像すると分かりやすいです。原子には中心の原子核があり、その周囲を電子が回っています。原子核が「精」、電子が「気」と考えると理解しやすいです。
精とは「気の中の精華」、すなわち最も重要で核心的な部分とされ、気を生み出す源となる存在です。
「元気がないときには精のつくものを食べろ」と言われるのも、この精を補うことで、エネルギー(気)が生み出されるからなのです。
この「精」と「気」が合わさったものが「精気」であり、精気学説においては、万物を生み出す根源的な物質とされています。

精気と気が統一される
精、精気、気という三つの概念には、それぞれ共通する本質的な特徴があります。
精気学説では、「精気」を宇宙万物を生成する物質的基盤と捉え、この考え方が後の「気一元論」の雛形となったのです。
では、なぜ「精気」と「気」が最終的に統一されたのでしょうか?
それは、精気学説の源流となった「水地説」に関係しています。
精気は無形で、常に運動し、極めて微細な物質であり、あらゆるものを生み出す宇宙の根源物質です。この「精気」という概念は、「万物は水中あるいは地中より生まれ、水と土に滋養され成長・発育・変化する」とする水地説に由来しています。
また、「男女の精気が合わさって水流になる。つまり、人は水である」とする考えも示されています。
ところが、時代が進むにつれて「水も地も有形のものであり、男女の精も有形である。それでは“有は無から生まれる”という古代中国の基本的な宇宙観と矛盾するのではないか?」という疑問が生まれてきました。
現代科学においても、「無から宇宙が誕生した」という考えがありますが、古代中国でも同様に「無から有が生じる」という哲学的前提が存在していたのです。
水地説が「有形の水や地から万物が生まれる」とするならば、これは「無から有が生まれる」という原理と矛盾してしまいます。そのため、「水地説を基にした精気が、万物を生み出す根源だとするのは本当なのか?」という疑問が広まるようになりました。
こうした背景の中、漢代には「元気学説」という新たな思想が生まれました。
元気学説では、「すべてのものは“気”で構成されている」とされ、気は無形で運動する微細な物質であり、宇宙を満たす根源的な存在とされました。
これは、精気の特徴とほとんど同じです。
このため、中医学と融合した精気学説においても、「精気は元気学説で説かれる“気”と同一の概念である」と考えられるようになり、精気と気はついに統一されてしまいます。
その結果、世界の根源は「気」であるという思想、すなわち「気一元論」に集約されていきました。
春秋戦国時代から漢代にかけて編纂された『管子』・『易伝・系辞上』・『呂氏春秋』・『淮南子』・『論衡』などの文献には、「精」や「精気」に関する記述が見られます。
同時期に成立した中医学の古典『黄帝内経(内経)』も、精気学説が自然科学や社会科学において広く受け入れられていた時代の産物であり、その思想を色濃く受け継いでいます。
そのため、中医学では現在でも「精」と「気」を別の存在として扱っています。この点は、精気学説の影響が中医学に深く根づいていることを示しています。

気一元論の確立と発展
話を「気一元論」に戻しましょう。
両漢時代になると、「万物の根源は“元気”である」とする元気学説が隆盛を迎え、精気学説は次第に元気学説に統合されていきました。
東漢時代の思想家・王充は「元気学説」を提唱し、「天地万物を生成する根源の気」を「元気」と呼びました。
彼の著作『論衡』の「談天」では、「元気未分、混沌為一(元気がまだ分かれていないとき、すべては混沌として一つである)」と記され、「天地、合気之自然也(天地は気が合わさって自然に生じたもの)」と説いています。
また「自然」篇では、「天地合気、万物自生(天地の気が合わされば、万物は自ずと生まれる)」と述べています。
同時代に成立した中医学の名著『難経』も古代哲学の影響を受け、初めて「元気」という概念を取り入れ、人の生命の根源と位置づけました。
その後も、気の学説はさらに発展します。
たとえば、宋代の哲学者・張載は『正蒙』において「太虚即気(太虚はすなわち気である)」という学説を提唱し、気が万物の実体であることを明確にしました。
彼は「気の聚散の変化が、あらゆる事物や現象を形成する」とし、気を万象の根本原理としたのです。
明清時代に入ると、方以智・顧炎武・王夫之・戴震といった思想家たちが、気一元論をさらに発展させ、気を中国古代哲学における最高範疇としました。
中医学においても、この気一元論は理論体系の基礎として受け継がれています。
中医学では、気を宇宙の根源と見なし、天地のすべての存在は気に由来すると考えます。
気の集合と変化によって有形の万物が生まれ、人間も例外ではありません。
『素問・宝命全形論』には、「天地合気、命之曰人(天地の気を合わせ、これを命(な)づけて人という)」と記されています。
このように、気の運動と変化によって、生命の本質、人体の生命活動、そして病気の発生や診断・治療までが説明され、中医学の気の理論が築き上げられていったのです。
歴代の名医たちも、さまざまな「気」の形態に注目し、その理論を発展させてきました。
たとえば、李東垣は「胃気」、汪機は「営衛の気」、喩昌は「大気」、呉又可は「戾気(れいき)」、黄元御は「中気」など、さまざまな形で「気」を論じ、臨床に応用してきたのです。
2.気一元論の基本的な内容
(一) 気は物質である
気一元論において、最も基本となる特徴は、気が「物質」であるという点です。
宇宙に満ちている気は、すべての基本的な物質を構成する源とされています。『易伝・系辞上』には、「精気為物(精気は物となす)」とあり、気が凝集して具体的な物質を形成することが記されています。
天地、山川、人間、鳥獣、植物、太陽、月、水、火など、この世界に存在するあらゆるものは、すべて気という物質によって構成されていると考えられてきました。
たとえば、東漢時代の思想家・王充は、宇宙が物質的な実体であり、その本質が「元気」という気の形で存在していると説いています。著書『論衡・言毒』には、「万物之生、皆禀元気(万物は皆、元気から生まれる)」と記され、さらに「天地合気,万物自生,猶夫婦合気,子自生矣(天地の気が合わさって万物が生まれるのは、夫婦の気が合わさって子どもが生まれるのと同じである)」とも述べています。
また、人間の生命と精神も「精気」という気に由来する物質によって支えられており、同じく『論衡・論死』では、「人は生まれる前から元気の中にあり、死んだ後も元気に戻る」と語られています。
中医学では、生命活動を構成し維持するさまざまな物質(たとえば、精・津液・血・脈など)もすべて気の範疇に含まれると考えられています。『霊枢・决気』には、「人有精、気、津、液、血、脈,余意以為一気耳(人は精・気・津・液・血・脈を有するが、これらはすべて一つの気であり、気の形態に過ぎない)」とあり、この考え方が示されています。
このように、中医学は気という物質の視点から、自然界、生命現象、健康状態、そして疾病の成り立ちまでを総合的に説明しています。
(二)気は万物の根源である
気一元論では、気は天地を含むすべての存在に共通する原初の物質であるとされます。
宇宙のあらゆる事物や現象は、気によって構成されており、気の運動と変化こそが、万物の生成、成長、変化の原動力とされてきました。
『公羊伝解詁・隠公元年』には、「元者、気也。無形以起,有形以分,造起天地,天地之始也(元とは気である。無形として起こり、有形に分かれる。天地はこの気によって生まれ、そこに始まりがある)」と記され、気が天地万物の根源であると説いています。
また、『荘子・至楽』には「気変而有形,形変而有生(気が変じて形をなし、形が変じて生を生む)」とあり、同じく『荘子・知北游』では「通天下一気耳(天下は一つの気にすぎない)」と記されています。これらの記述からも、気が宇宙全体を貫く唯一の本質であるという思想が強く感じ取れます。
この気一元論は、はじめは自然現象を説明するための客観的な視点として出発しましたが、やがてより広い自然観へと発展し、古代中国哲学における中核的な思想として位置づけられるようになりました。
中医学も、このような古代哲学の影響を受けており、気を宇宙の根源と見なし、天地万物の基本的な構成要素であるとしています。
『霊枢・天年』には、黄帝の問いに対して岐伯が答える形で次のような記述があります。
「人之始生,何気筑為基,何立而為楯……以母為基,以父為楯(人はどのような気によって基礎を築き、どのようにして保護されるのか。母をもって基となし、父をもって楯となす)」。
この問答から、人の生命は母親の陰血を基盤とし、父親の陽精を支えとして成り立つとされ、両者の精気が結びつくことで「神(しん)」が生じ、生命活動が始まると説明されています。このように生じた気を「先天の気」と呼びます。
さらに、気は生命を生み出すだけではなく、その活動を維持するうえでも不可欠な基本物質とされています。
『素問・六節蔵象論』には、「五気入鼻,蔵于心肺,上使五色修明,音声能彰。五味入口,蔵于腸胃……気和而生,津液相成,神乃自生(五つの気は鼻から吸入され、心肺に蓄えられることで、視覚や聴覚などの機能が明らかになり、音声もはっきりと発せられる。食べ物の五味は口から入り、腸胃に蓄えられて精微に変わり、五臓を養い、津液が生まれ、神気が自然に充実してくる)」と記されています。
このように、気は万物の根源であり、生命を生み出し、生命活動を維持する中心的な物質として、中医学の理論体系において非常に重要な位置を占めているのです。
余談:人間と虫の違いは?
天地の精気が人間を生み出します。
人間も万物も同じ「気」を起源を持っていますが、人間は他の存在と異なり、「精神」を持っています。
それは「精気」、つまり気の中の精華(精)から生じます。
《管子・内業》には、「人之生也,天出其精,地出其形,合此以為人。(人の生は、天がその精気を出し、地がその形を出し、これらを合わせて人となる)」とあります。
人と虫の違いは何でしょうか?
それは、精を持っているかどうかです。
《淮南子・精神訓》には、「煩気為虫,精気為人。(煩気は虫と為し、精気は人と為す)」と記されています。
精気学説では人は精華(精)を持っている=「精神があるもの」が人で、精華を持たない=「精神がないもの」を虫と考えていました。
これは、精気の有無が、人と虫の違いであることを説明しています。
*精華を持つ気を精気、持たない気を煩気といいます。
精の有無が人と虫を分けているなんて、精気学説ならではの面白い考え方です。

(三) 気の運動は変化の根源
気の運動は、物質世界における基本的な変化の形式です。
宋代の哲学者・張載は著書『正蒙・太和』の中で、「気塊然太虚,昇降飛揚,未嘗止息……為風雨,為雪霜,万品之流形,山川之融結,糟粕煨烬」と述べています。これは、「気は広大で形もなく、空中を上下に昇り降り、飛び交い、決して止まることがない。気と気が感応し、凝結することで風雨となり、雪や霜となり、万物の流動する形をつくり、山や川を形成する。こうしたものは、気の残りかすや燃え殻であり、天地がそれを通じて人間に自然の理を示すにすぎない」という意味です。
天地万物の誕生や変化、そして終わりまでもが、すべて気の運動、すなわち昇降・集散といった動きのあらわれです。
気は常に絶え間なく運動し、その運動によって自然界の多様な現象や変化を引き起こします。 この気の運動を「気機(きき)」といい、その基本的な動きには、昇る・降りる・出る・入る・集まる・散るといった形式があります。
これらの動きは、昇降、出入、聚散といった対をなす性質を持ち、相互にバランスをとりながら協調して働きます。
『素問・六微旨大論』には、「昇降出入,無器不有(すべての存在には昇降・出入の運動がある)」と記されています。つまり、出入りの運動がなければ生命の誕生・成長・成熟・老化・死は起こらず、昇降の動きがなければ、生長・変化・収斂・蓄蔵といったプロセスも存在しないということです。
聚(あつまる)と散(ちらばる)もまた、気の基本的な運動様式です。張載は『正蒙・太和』の中で、「太虚不能無気,気不能不聚為万物,万物不能不散而為太虚(太虚には必ず気が存在し、気は聚まって万物となり、万物はまた散って太虚に還る)」と述べています。古人たちは、このような気の聚散の運動によって天地万物の形成を説明し、人の生死の変化もまた、この運動の結果であると考えました。

気の運動により起こる変化を「気化」といいます。
気の運動は、宇宙におけるすべての変化を引き起こす原動力です。そして、その結果として現れる、生成・成長・衰退・形態の変化、さらには虚実の状態までもが「気化」といわれます。
たとえば、脾胃が飲食物から気や血を生成する際には、まず気機の働きによって脾胃が動き、その結果として気化が起こり、気血が生まれます。
気機は気化の原動力であり、原因です。
気化は気機の具現化であり、結果です。
張載は『正蒙・太和』において、「由太虚,有天之名;由気化,有道之名(太虚により天の名が生まれ、気化により道の名が生まれる)」とも述べています。これは、無限の空間である太虚の存在が「天」という概念を生み、気の変化が秩序ある道を生むということを示しています。
気化はその微細さにおいて内にとどまるものはなく、その広大さにおいて外に及ばぬものはありません。つまり、気化は宇宙に存在するすべての物質と現象の変化と規律を支配します。
このように、世界の万物に起こるすべての変化は、気化によるものであり、形あるものは気化によって生まれ、そして再び気へと還ります。
中医学でも、この気化という概念は早くから『黄帝内経』において提唱されています。たとえば『素問・天元紀大論』には、「在天化気,在地成形,形気相感而化生万物矣(天では気が化し、地では形が成り、形と気が相互に感応して万物を生み出す)」と記されています。
この考え方は、人間の生命活動においても応用されており、体内での精・気・血・津液などの物質的変化、また人の一生における生・長・壮・老・死といった過程は、すべて気機による気化の現れであると説明されます。

(四) 気は万物を媒介する
天地と万物の間には見えない気が満ちており、目に見える実体とさまざまなかたちで交流を行っています。 そのため、気は天地万物の間にある相互関係や作用を媒介する物質となっています。
気は事物の間にある相互感応や情報伝達の仲立ちとなります。 ここでいう感応とは、事物どうしが互いに影響し合い、通じ合うことを意味します。
『呂氏春秋・応同』には「類同則召、気同則合、声比則応(類が同じであれば呼び合い、気が同じであれば合し、音が似ていれば響き合う)」と記されています。
たとえば楽器の共鳴、磁石の引き合い、月の引力による潮の満ち引きなどは、いずれも自然界における感応現象といえます。 これらの相互感応は、気が情報を伝える媒介となることで成り立っています。
すべての形は気によって形成され、気はそれらの形の間に満ちています。 そして気が物に感応し、物がまた感応することで反応が生まれます。 このため、物理的な距離があっても、気を通じて情報が伝わり、事物は相互に感応することができるのです。
日常で使われる「空気を読む」という表現も、気と物の感応現象の一例といえるかもしれません。
中医学では、天と地と人のあいだには相互に照らし合い、応じ合う関係があると考えます。
たとえば『霊枢・歳露論』には「人与天地相参也,与日月相応也(人は天地と照らし合い、日月と応じ合う)」と記されています。
人は天地の気の中に生きており、その気を通じて万物の変化と深く関わっています。 これを「生気通天」といいます。
太陽や月、昼夜、四季や気候の変化が人の生理や病理に影響を与えるのも、気の媒介作用によって人と天地が密接につながっているからです。

また、人体の臓腑・経絡・感覚器官などの各組織も、気の伝達作用を通じて相互に感応し、連携し、影響し合っています。
たとえば「心気は舌に通じる」「肝気は目に通じる」「脾気は口に通じる」「肺気は鼻に通じる」「腎気は耳に通じる」などの表現は、臓腑と感覚器官を気がつないでいることを意味しています。
このように、天と地と人の関係だけでなく、人の体の内部でも、気が重要な媒介の働きをしているのです。

気一元論では、気は宇宙の根本であり、万物を構成する本源の存在であると考えます。
気の運動や変化が、宇宙のすべての存在の生成、成長、変化を導きます。
中医学において、気一元論は人の生命活動を解釈し、健康や病の理解、診断や治療の根拠となる、きわめて重要な理論基盤となっているのです。
まとめ
- 気一元論は中医学の基盤となった哲学の一つです。
- 世界のすべては「気」でできています。
- 気は常に運動しています(これを「気機」といいます:昇・降・出・入・聚・散)。
- 気機の働きによって「気化(現象や変化)」が起こります。
- 気は万物の間を媒介しています。
- 精気学説は気一元論の原型といえます。
- 中医学は精気学説の影響を受けており、精と気を別のものとして扱います。
次回は、気一元論が中医学とどのように融合していったのかを学びます。
〜 中医学は中医基礎理論で始まり、中医基礎理論で終わる 〜
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