【中薬を故事で学ぶ】 浮小麦の故事 〜浮小麦の発見:古代名医が解き明かした治療の秘密〜

中薬の故事

宋の太平年間、王懐隠(おうかいいん)という名医がいました。

彼は人徳と医術に優れ、多くの難病を癒してきたことで知られていました。

ある日の雨上がり、王懐隠はいつものように薬局の中庭に並べられた薬草を点検していました。

そのとき、新しく納品された一束の小麦が目に留まりました。

細く、軽く、節の間が空洞になっているその小麦を手に取り、そばにいた薬局の手伝いに尋ねました。

「この小麦はどこから来たのだ?」

手伝いは答えました。

「城南の張大戸が持ってきたものです」

王懐隠が何か言おうとしたそのとき――
急を告げる者が駆け込んできました。

「先生、どうか助けてください!」

駆け込んできたのは、やつれた表情の男。

妻の様子がおかしいと、懇願に来たのでした。

「最近、妻が急に怒ったり、笑ったり、泣いたりと感情が不安定で、落ち着きがありません。時には他人に手をあげたり、物を壊したりしてしまうのです。まるで別人のようで……どうかこの邪を祓ってやってください!」

王懐隠は静かに脈を取り、いくつかの問診を済ませると、やがて長い髭を撫でながら笑って言いました。

「心配には及びません。これは臓躁症(ぞうそうしょう)という病です」

そう言って、すぐに処方箋をしたためました。

それは甘草・小麦・大棗の三味からなる、漢の医聖・張仲景の『金匱要略』に記された処方――甘麦大棗湯でした。

「これで様子を見ましょう」と薬を渡すと、夫婦は頭を下げて帰っていきました。

その帰り際、夫がふと思い出したように言いました。

「先生、そういえば……妻は夜になると汗をびっしょりかくのです」

王懐隠はうなずきながら答えました。

「まずは心を安んじ、臓躁症を癒すのが先です。汗については後でまた考えましょう」

それから五日後――
再び訪れた夫婦は、顔に明るい笑みを浮かべ、深々と礼を述べました。

「先生、妻の病はすっかり良くなりました! あの薬、本当によく効きました。感謝してもしきれません!」

王懐隠はうれしそうに頷きながら言いました。

「それはよかった。では、今日は盗汗を治しましょうか?」

しかし妻は、からりと笑って答えました。

「もう治ってしまいました。夜中に汗をかくことも、まったくありません」

王懐隠は驚き、ふと考え込みました。

「……甘麦大棗湯に、盗汗を止める効果があるのか?」

彼はその後、同じ処方を使って盗汗のある患者を治療してみました。

しかし今度は、どれも効果が見られなかったのです。

「おかしい……なぜだ……?」

王懐隠は首をかしげながら、かの薬王・孫思邈の『千金要方』を開き、書中の言葉をひとつひとつ読み解きました。

やがて、彼はふと、以前薬局で目にした軽くて中空の小麦の束を思い出しました。

「あのときの小麦……もしかすると……」

すぐに薬局の手伝いを呼び、こう命じました。

「今後、あのように中が空洞で軽く、水に浮くような小麦を見つけたら、別に保管し、『浮小麦(ふしょうばく)』と記すのだ」

その後、王懐隠は浮小麦を使って、盗汗や虚弱体質による汗を伴う症状の患者を治療しました。

その効果は目覚ましく、彼はこの発見を同業の医師たちと共有しました。

そして、太平興国三年。

王懐隠は王祜、鄭奇、陳昭遇らと共に、張仲景の医学を研究し、『太平聖恵方(たいへいせいけいほう)』を編纂しました。

その中には、浮小麦の効能も明記され、後世の医家たちに受け継がれていきました。

それ以来、浮小麦は精神を安定させ、虚汗を止める薬として人々に重宝され、千年を越えて今日に至っています。

おしまい


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