前回の記事では、クイズ形式でさまざまな物事を陰と陽に分類してみました。
問題を解いていくうちに、「あれ? 意外と陰陽の感覚が自分の中にあるかも」と感じられたのではないでしょうか。
すでに皆さんの中に、陰陽を見分ける感覚が備わっていることを実感できたと思います(できましたよね?)。
さて、今回からはいよいよ本格的に「陰陽学説」の中身に入っていきます。
この記事では、以下の内容を学びます。
- 陰陽という概念がどのように形成されたのか
- 陰陽の分類ルールとはどのようなものか
まずは、「陰陽」という考え方がどのようにして生まれ、発展していったのかを見ていきましょう。
陰陽学説とは
陰陽学説とは、中国古代の哲学思想のひとつであり、「陰と陽の対立と統一こそが、天地万物の運動と変化の根本である」とする考え方です。
中医学では、この陰陽学説を基礎に据え、陰陽の相互、対立、相用、消長、転化、自和の法則を用いて、生命現象や健康の維持、さらには病気の発生や治療を理解していきます。
陰陽という概念は、もともと自然の成り立ちを理解し、自然界の変化を説明するために古代の人々が用いた自然観であり、同時に物事を捉えるための方法論でもありました。
この思想では、世界は物質によって構成されており、物質世界そのものが「陰」と「陽」という二つの気の「対立と統一」の結果として成り立っていると考えられています。そして、陰と陽という二つの気が互いに作用しあい、運動し、変化していくことで、万物が生まれ、成長し、変化し続けているのです。
このような陰陽学説は、中医学の理論体系にも深く融合され、生命活動の仕組みを理解するための土台となっています。病気がどのように起こり、どのように変化・発展していくのかというメカニズムを分析し、適切な診断や治療を行う際の重要な指針として活用されています。
つまり、陰陽学説は中医学の理論体系における哲学的な基礎であり、その発展と深化に極めて大きな影響を与えてきたのです。

陰陽の概念
(一)陰陽の概念の形成
陰陽という概念の起源は非常に古く、夏や商の時代、つまり今から約四千年前、あるいはそれ以前にまでさかのぼると考えられています。
古代の人々は、自然界の現象、特に太陽の昇り沈みや、月の満ち欠けなど、明と暗が交替する様子を注意深く観察していました。その結果、「日向は陽」、「日陰は陰」という、陰陽の最も基本的な意味が生まれました。
陰陽の初期の文字記録は、殷商時代の甲骨文字に見られます。そこには「陽日」や「晦月」といった表現があります。つまり、甲骨文字で陰陽は「太陽と月」を指しています。
《周易》では、陰陽を「_ _ 」と「―」の記号で表し、「一陰一陽之謂道(一つの陰と一つの陽が道である)」と提唱しました。これにより、陰陽学説を哲学的な高度にまで引き上げ、陰陽の対立属性およびその運動変化を宇宙万物の本性、および変化の基本規律として捉えました。
『周易』では、天地・日月・寒暑・動静・剛柔・進退・水火・男女など、相反する性質をもつさまざまな事物や現象を陰陽に分類しています。そして、それらの対立が調和を保ちながら共存していることに注目し、陰陽を「対立しながらも統一される」哲学的な原理として体系化しました。
*なお、『周易』で用いられる陰陽の記号「_ _」と「―」が、奇数=陽、偶数=陰という数理的対応の由来であることは、前回の記事でご紹介した通りです。

世界最古の漢字辞典の陰陽は?
紀元100年頃に作られた世界最古の漢字辞典、《説明解字》には、陰陽はこのように書かれています。
「陰,暗也。水之南,山之北也。(陰は暗なり。水の南、山の北なり。)」
暗は「暗い」という意味で、水は「川」を指します。
自然界にある多くの川は、山と山の間(渓谷)を流れています。
イメージしてください。
南北に山が並んでいて、間に川が流れているとします。南に太陽が昇った時、南側の山の北側は日陰となり暗い状態となります。そして、南側の山の北側は、「川(水)の南側」にあたります。
この光が当たらない暗い部分が「陰」であると記載されているのです。

その後、「日光に向かっているものが陽であり、日光から背を向けているものが陰とする」など、自然現象の観察が広がるにつれて、陰陽の意味は天地、上下、明暗、寒暑、動静などを包括する概念として広がっていきました。
陰陽で自然界を分析
紀元前700年頃の春秋戦国時代では、陰陽を使って自然現象の分析が行われていました。
突然ですが、ここでクイズです。
陰陽学説で、地震はどのように起こると考えているでしょう?
正解は、、、
「陽伏而不能出、陰迫而不能烝、於是有地震。(陽伏して出づること能わず、陰迫りて烝る能わず、是に於ひて地の震ふ有り。)」です、笑
これは、当時の《国語》という歴史書に記載されています。
冬は地上が陰気に満ちていて、陽気は地中に潜んでいます。普通は、陽気が地上に出てきて、陰気が地中に潜むと春になるのですが、陰陽バランスの異常で、陽気が地上に出るのを陰気が防いでしまことがあります。そうすると、抑制された陽気が力づくで地上に出ようとした結果地震が起きると考えたのです。
当時は春に地震が多かったのでしょうね。
他にも、陰気と陽気のバランスで四季の変化を説明しています。
地上が陰気で溢れ、陽気が地面に潜んでいる状態が「冬」です。徐々に陽気が地上に出てくると「春」になり、地上が陽気で溢れると「夏」になります。陽気が徐々に減り、地上に陰気が出てくると「秋」になり、地上が陰気で溢れると「冬」になります。
この繰り返しで四季は変化していくのです。
この様に、陰陽を用いることで、より体系的に自然現象を分析・説明できるようになりました。

どのように自然界ができたのか?
自然界や万物がどの様にできたのかも陰陽を用いて説明します。
《老子・四十二》には以下の文があります。
「道生一,一生二,二生三,三生万物。万物負陰而抱陽、冲気以為和(道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、冲気をもって和となす。)」
道とは万物の根源のことです。
そこから一が生じます。一とは気のことです。
一は二を生じます。二は陰と陽のことです。
二は三を生じます。三は冲和の気で、天地の間にある調和されて穏やかな気のことです。つまり天の陽と地の陰が交わり、冲和の気が生まれるということです。*沖和(ちゆうわ)の気:天地の間にある調和されて穏やかな気のこと。
三は万物を生じます。つまり、冲和の気から万物が生まれます。その特性から冲和の気は「生生之気」とも呼ばれます。
冲和の気から生まれた万物は、陰を負いて陽を抱いています。
これは、陰陽が交わり出来た冲和の気は、その中に陰と陽を持っているという意味です。
冲和の気から生まれた万物も同じ様に、その中に陰と陽を持っているのです。冲和の気から生まれた私たちも、陰と陽の両方を持っているんですよ。
そして、陰陽を交流させた冲和の気によって万物は調和しています。
つまり、陰と陽が交わりバランスをとっている状態が「調和した状態」であり、人であればその状態が「健康」ということになります。
この様に、陰陽を用いることで、自然界や万物がどのようにして出来たのかを体系的に説明することが可能になりました。

黄帝内経での陰陽
我らのバイブルである黄帝内経にも陰陽の記述がみられます。
黄帝内経の陰陽と自然界
黄帝内経ある自然界と陰陽に関する記述をみてみましょう。
《素門・陰陽応象大論篇》には「清陽為天,濁陰為地。(清陽は天となり、陰濁は地となる。)」と書かれています。
清陽は「軽く澄んでいて、上昇する性質を持つ気」、濁陰は「重たく濁り、下降する性質を持つ気」です。
先程、老子は「一が二を生じる」とし、二が陰と陽であると紹介しましたが、黄帝内経でいえば陰が濁陰、陽が清陽にあたります。
このように、黄帝内経では陰陽が天地を作ることを述べています。
水も陰陽によって循環する
自然界では地上(特に海)の水が水蒸気となって昇り、上空で雲となり、雨となってまた地上に降りてきます。
黄帝内経では、それが天の陽気と地の陰気の交流によって起こるとしています。
この天と地の交流のメカニズムは臨床でもとても役に立ちます。詳しい内容は「互根互用」でご紹介します。

中医学への応用
春秋戦国時代になると、陰陽の考え方は自然哲学の枠を超え、ついに医学の領域にも応用されるようになりました。
その先駆けのひとりが、秦の名医・医和(いわ)です。彼は晋侯(しんこう)の診察にあたった際、次のように述べています。
「天有六気、降生五味、発為五色、為五声、浮生六疾。六気日陰、陽、風、雨、晦、明也……陰淫寒疾、陽淫熱疾」
(天には六つの気があり、これが五つの味を生じ、五つの色を作り、五つの音を生み、さらに六つの疾患をもたらす。六つの気とは、陰・陽・風・雨・晦(くらみ)・明(あかり)である。陰が過剰になれば寒の病が起こり、陽が過剰になれば熱の病が生じる。)
これは『左傳・昭公元年』に記録されたものであり、当時すでに、病気の原因を陰陽によって説明しようとする思想が存在していたことを示しています。
その後、陰陽理論は医学体系の根幹にまで発展し、代表的な古典である『黄帝内経』において、陰陽学説は終始一貫して理論の土台を成しています。
たとえば、次のような記述があります。
- 「自古通天者、生之本、本于陰陽」
(天の理に通じてこそ、生命の根本が理解される。その根本とは、まさに陰陽に他ならない。) - 「陰平陽秘、精神乃治。陰陽離決、精気乃絶」
(陰が安定し、陽が内に秘められていれば、精神は健やかになる。反対に、陰陽の調和が崩れれば、精気は失われてしまう。)
また、治療方針についても、次のように述べられています。
- 「謹察陰陽所在而調之、以平為期」
(陰陽の状態を慎重に観察し、それを調整して平衡を保つことを治療の目標とする。)
さらに、健康に関する考え方も明確に示されています。
- 「治病必求於本」
(病を治すには、必ずその根本、すなわち陰陽の失調を探らなければならない。) - 「陰陽匀平、以充其形、九候若一、命曰平人」
(陰陽が均等に調和し、身体の形を満たし、脈象(九候)がすべて一致していれば、その人は健康とされる。)
このように、陰陽の概念が誕生したことで、万物の生成や自然現象の仕組みを説明できるようになりました。そしてその後、陰陽の理論が医学にも深く融合し、人体の構造や機能、そして病理の理解に大きな貢献を果たしたのです。中医学は、陰陽という哲学的基礎の上に築かれた体系であり、それによって初めて、生命現象を総合的に捉えることが可能となりました。
太極図の誕生
紀元後10世紀頃から、陰陽は「太極図」を用いて表現されるようになりました。「太極」は中国の古代哲学用語で、万物の起源を意味します。太極図は、黒と白の二つの魚のような模様で構成される円形の模様で、陰陽の「交感・対立・互根・消長・転化」の関係をを視覚的に表現し、すべての事物や現象が論理的で運動的で、柔軟な特徴と規則を持つことを示しています。
(二) 陰陽の基本概念
陰陽とは、物事や現象の間にある、互いに対立する二つの基本的な属性を指します。これは、一つの事物の中に存在する相対する二つの側面を指す場合もあれば、二つの異なる事物や現象が相互に対立し合う関係を指す場合もあります。
この陰陽の基本的な考え方については、古典『素問・陰陽応象大論』に次のように記されています。
「陰陽者,天地之道也,万物之纲紀,変化之父母,生杀之本始,神明之府也」
(陰陽とは天地の道であり、万物の秩序であり、変化の根源であり、生と死の起点であり、そして神聖なるものが宿る場所である)
つまり、陰陽は天地自然の原理であり、あらゆるものの成り立ちや変化、生命の誕生や死滅といった現象の根本的な規律なのです。
陰陽という言葉は、哲学的な用語であり、非常に抽象的な概念です。しかしその抽象性ゆえに、陰陽は自然界の法則を的確に捉え、万物の運動や変化を理解するための重要な指針として働いています。陰陽の概念は、事物の発生、発展、変化、そして終焉に至るまでを一貫して貫いているのです。
陰陽学説を応用することで、私たちは自然界や人間の営みにおけるあらゆる事象を、対立しながらも互いに関連し合う構造として捉えることができます。たとえば、天地であれば天が陽で地が陰、人であれば男性が陽で女性が陰、身体の気血であれば気が陽で血が陰といった具合です。
このように、一見すると陰陽はすべての事象を単純に二分できるように見えるかもしれませんが、実際にはそこに明確なルールや基準があります。
次は、陰陽に分類する際の基本的なルールについて学んでいきましょう。
(三) 陰陽の特性と分類のルール
1.陰陽の普遍性(前提:あらゆるものは陰陽に分けられる)
多くの物事や現象は、互いに対立する側面を持っています。陰陽学説では、こうした対立的な二つの属性を「陰」と「陽」として整理します。たとえば、「天は陽で地は陰」「夏は陽で冬は陰」「火は陽で水は陰」といった具合です。
陰陽の概念は、天地自然から人間の営みに至るまで、あらゆる存在や現象を包括的に捉える枠組みを提供します。中医学でも、「人生有形,不離陰陽(人は有形にして、生まれながらに陰陽の変化と切り離すことはできない)」《素問・宝命全形論》という考え方のもと、人体の構造、生理機能、病理変化、診断、治療に至るまで、すべてを陰陽の原理で理解します。
たとえば、気は陽に属し、血は陰に属します。背は陽で腹は陰、上半身は陽で下半身は陰、体表は陽で体内は陰……このように中医学では、人体を構成するあらゆる要素を陰陽の対で捉えていきます。
2.陰陽の関連性(ルール1:相互に関連するものしか分けられない)
陰陽として対立関係にあるものは、単に反対であるというだけではなく、同じ全体(統一体)に属している必要があります。つまり、それぞれが相互に関連し合っていることが前提です。
たとえば、空間における上下、時間における昼夜、気候における寒暑、身体の中の気血などは、いずれも陰陽の関係で説明できます。
一方で、関連のない事物や現象──たとえば「寒さ」と「上昇」や、「昼」と「外」などは、統一体に属さず、関連性も乏しいため、陰陽に分類することはできません。
3.陰陽の規定性(ルール2:陰陽属性の定義は変更できない)
陰陽の属性には一定の規定性があり、基本的に勝手に入れ替えることはできません。
陽の特性には、「明るい」「温かい」「上昇する」「外に向かう」「活動的」「興奮」などがあり、陰の特性には、「暗い」「冷たい」「下降する」「内に向かう」「静的」「抑制」などがあります。
たとえば、火は陽であり、水は陰です。これを逆転させて火を陰、水を陽と定義することは、陰陽学説においては認められません。
人体についても同様です。たとえば、心には心陰と心陽、腎には腎陰と腎陽があり、それぞれ固定された意味を持っています。これらは独自に存在するのではなく、陰陽という基本属性の規則に則って理解されなければなりません。
4.陰陽の相対性(ルール3:状況によって陰陽は変化する)
陰陽の属性は、必ずしも絶対的なものではありません。以下の三つの側面から、陰陽には「相対性」があるといえます。
- 陰陽は転化し得る(陰⇔陽)
特定の条件下で、「陰→陽」、「陽→陰」と物事の陰陽属性が転化することがあります。
例えば、寒証と熱証の転化があります。寒証(陰)は特定の条件下(寒さの程度が極まると)で熱証(陽)に転化します。
熱証から寒証への転化も同じです。疾患の性質が変化すると、それに従って症状の陰陽属性も変わります。
例えば、インフルエンザでは、初期は寒証(陰)で悪寒(陰)がある状態から、高熱(陽)となり熱証(陽)へと転化します。 - 陰陽の中に陰陽が存在する
陰と陽が、その中でさらに陰陽に分かれることがあります。
例えば、昼は陽であり、夜は陰です。昼の午前と午後を比較すると、午前は陽の中の陽であり、午後は陽の中の陰です。夜の前半と後半を比較すると、前半は陰の中の陰であり、後半は陰の中の陽です。
五臓も陰陽に分かれ、心と肺は陽であり、肝と腎は陰です。ですが、心と肺を比較すると、心は陽の中の陽であり、肺は陽の中の陰となります。肝と腎を比較すると、腎は陰の中の陰であり、肝は陰の中の陽となります。臓腑一つをとっても、心は陽ですが、その中に心陰と心陽があります。このような相互対立かつ相互関連するものは自然界に無限に存在します。
《素問・陰陽離合論》では、「陰陽者、数之可十、推之可百。数之可千、推之可万。万之大、不可勝数、然其要一也。(陰陽とは、数えれば十に達し、推し進めれば百に至る。数えれば千に達し、推し進めれば万に至る。万の数は大きく計り知れないが、その要は一つである。」と、陰陽に属すものは無限に存在しても、その要は一つ=(結局は)陰陽であると述べています。 - 陰陽の属性は比較対象に応じて変化する。
物事の陰陽属性は、相反する二つの側面を比較して定義されます。そのため、比較対象が変化すると、物事の陰陽属性が変わることがあります。
例えば、水の温度100℃と50℃を比較すると、100℃は陽で、50℃は陰です。しかし、50℃と0℃を比較すると、50℃は陽で、0℃は陰になります。
また、六腑と五臓も陰陽で分類されます。六腑は水穀を伝え排泄する機能を持ち、陽に属します。一方、五臓は精気を内に藏し、陰に属します。六腑と四肢を比較すると、六腑は内にあり陰に属し、四肢は外にあり陽に属します。
このように、分類の前提や基準が変われば、事物の陰陽属性も変わることがあるのです。
迷った時は火と水をイメージしましょう
物事の陰陽属性は、陰陽それぞれの特性に基づいて比較分類されます。
「動的」、「外向き」、「上昇」、「拡散」、「温熱」、「明亮」、「興奮」などの特性を持つ物事や現象は、陽に属します。一方、「静的」、「内向き」、「下降」、「凝縮」、「寒冷」、「晦暗」、「抑制」などの特性を持つ物事や現象は、陰に属します。
水と火という対照的な二つの事物は、寒熱、動静、明暗の特性を持ち、陰陽の属性を反映する重要な要素で、物事の陰陽属性を区別する基準となっています。
《素問・陰陽応象大論》にも、「水火者,隠喩之征兆也。(水と火は、陰陽のしるしである。)」と記されています。
「陰なのか陽なのか?」
迷った時は火と水をイメージしましょう。
まとめ
今回は、陰陽がどの様に形成し発展したのか、そして、分類のルールも学びました。
次回は、陰陽学説の「陰陽の法則」を学びます。
今回、特に覚えて欲しいのは陰陽の特性と分類のルールです。
前提として「あらゆるものは陰陽に分けられる」が、
- 相互に関連があること
- 比較対象によって陰陽属性が変化することがある
- 一つも物事の中に、さらに陰陽がある
特性を把握し、ルールさえ守れば、あらゆる物事を陰陽に分けて考えることができます。
そして、次回学ぶ「陰陽の法則」と合わせることで、陰陽を臨床に生かすことができるようになりますよ。
引き続き、より深い陰陽の世界を見ていきましょう。

黄帝内経にある一節です。
「明于陰陽、如惑之解、如酔之醒」
〜陰陽が明らかなるとは、惑いが解け、酔いが醒めるようなものである〜
陰陽を明らかにすれば、あらゆることが明確に見えてきます。
臨床で本当に本当に大切な概念なので、しっかり学んで行きましょう。
コメント